立花隆氏の逝去について。
有名な「田中角栄研究」だが、発表年代と発表誌に注目した。年代は1974年。当時、立花氏は30代前半。よくぞこの若さで当時の最高権力者の闇に切り込んだものだ。そしてこれを掲載したのが『文藝春秋』であったという事実。在籍していたということもあったのだろうが、これが左翼系誌であったなら、これほど話題になることはなかっただろうし、角栄氏の失脚に繋がらなかったかもしれない。
大島康徳氏の逝去について。
僕はこの人のMLBの解説が好きだった。ブログも時々読んでいた。人に対して暖かく、肯定的な解説なんだよな。聴けなくなるのは残念。
共に、ご冥福をお祈りします。
中国共産党100周年記念式典について。
ニュースで放送されたので、見た人も多いだろう。僕はゾッとしたね。既視感。日本軍国主義、ナチズム、スターリン主義、金正恩体制に通じるものを感じてしまったな。この国が今世紀半ば以降、世界最大の国家になるのだ。たまったもんじゃないよ。僕は共産党を全否定しているわけではない。左右の全体主義を全否定しているのだ。中国共産党は、自分たちの制度の方が民主主義よりも優れていると本気で思っている。民主主義国は一致団結してこれに向かう必要があると思う。
その意味でも、東京オリンピックは必ず開催しなければならない。しかし、自民党の政治屋が言っている「コロナに打ち勝った証」としてではない。そもそも、感染症に勝てると本当に思っているのか。感染症との共存を模索する最初の国際大会として、成功させなければならない、と僕は言っているのだ。もし中止、あるいは延期してしまうと、数か月後の北京冬季五輪で、中国は真実を隠してでも感染症の克服をうたうだろう。その非現実さを打ち砕くためにも、感染症に勝つのではなく、共存の道を探った最初の五輪、の地位を東京がになう必要がある。全くパラダイムが変わってしまったコロナ後の世界において、東京のこの経験は今後に必ず役立つはずだ。その意味で、共存の道を探ると、何故政府が言わないのか、僕にはとても不思議である。
7/8の欧米時間では、16時台、17時台、22時台の3回の取引で計23円獲得。ストップも置いていたが、全く気にする必要のないくらい、順調にとれた。こんなことは珍しいな。しかし、23時以降、2度ほどあったチャンスは、ブログを書いていたため、逃してしまった。しかし、23円取れれば満足だ。