Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

『本当は怖い洋楽ヒットソング』4

太田利之氏が著した本書の中から、僕にとってなじみのある曲を紹介しているが、今回は「4 貧困・犯罪・投獄」の章。5曲が取り上げられているが、ここでは、スティービー・ワンダーの『汚れた街』を取り上げたい。原題は「Living for the City」。「街中に生きて」という感じかな。この曲は1973年発表のアルバム「インナーヴィジョンズ」の中の1曲だ。この頃のスティービー・ワンダーは凄かった。有名な「迷信」は、72年発表の前作「トーキング・ブック」所収だが、アルバム全体としては「インナーヴィジョンズ」の方が僕は好きだ。

ほぼすべての曲を自作し、同じく演奏も自分でこなす。盲目の天才(全盲ではないようだが)とはこの人のためにある言葉だろう。

曲の内容は米国南部、ミシシピィ州で生きる子だくさんの黒人の生活の実録だろう。貧しくても両親は、子供がまっとうに生きられるようにと、必死に働く。しかし当地では、誰よりも賢い兄でさえも、就職口が無い。肌に色がついていると、ここでは雇ってもらえない。そこで兄は、NYに出ようと行動を起こす。

この後、曲の間奏部分では会話、というか寸劇が挿入される。内容はこうだ。NYで兄は麻薬の運び屋との疑いをかけられ、逮捕されて10年の刑を食らうのだ。ところがこの部分はラジオなどでは放送されないらしい。会話の中に差別用語が含まれているからだという。しかしこれはおかしな話だ。この部分を聴かないと、この曲の本当の意味がわからない。曲は、この会話の後、後半に入るが、ここでのスティービー・ワンダーの歌い方は怒りに満ち、前半とは明らかに異なる。しかし、この怒りは、別の一面では、この歌の主人公の成長をも意味する。最後は「僕の心の声を聴いてくれ。そして、より良い明日を作ろうという気持ちになってくれ」と、ポジティブな呼びかけとなって曲は終わっていく。

この曲を初めて聞いたのは、文化放送の全米TOP40という番組だったと思う。このときには間奏部分も削除されていなかったと思うが、、、。この部分を除いて放送するようになったのはいつ頃からなのかは、僕も知らない。

ところで、スティービー・ワンダーと聞いて思い出すことは二つある。

一つは、1976年のグラミー賞、最優秀アルバム賞の授賞式。この時の受賞作は、先日書いたポール・サイモンの「時の流れに」だった。この時の受賞スピーチでサイモンは「昨年、スティービー・ワンダーがニュー・アルバムを発表しなかったことに感謝します」と述べたのだ。僕はこのニュースをほぼリアルタイムで見ていたが、サイモンは、ジョークの気持ちもあったろうが、半分以上は本心だったんじゃないかな。そのくらい、当時のスティービー・ワンダーは凄かった。

もう一つは、来日公演の時の話だ。いま手許にパンフレットが無いが、1975年の日本武道館でのコンサートに僕は行った。アリーナの真ん中よりちょっと手前、結構良い席だったと思う。当時の警備は厳格だった。演奏途中に、興奮した僕が立ち上がると、直ぐに警備のあんちゃんが来て席に着かせるのだ。そのくせ、僕の少し前にいた外国人のカップルは踊りまくっていた。そっちの方には警備員は行くそぶりも見せない。

かくして、当日の武道館アリーナ席は、行儀よく椅子に座ってスティービー・ワンダーのステージを観る大多数の日本人と、ごく少数の踊りまくる外国人に分かれ、その上に

「迷信」や「汚れた街」といった名曲が降り注ぐ、という奇妙な光景となった。

不思議な感覚を残したコンサートになったが、彼の曲は今でも時々聴く。やはり「インナーヴィジョンズ」が中心だ。

ところで、太田氏の著作では、この曲の紹介中に、突然、永山事件に飛ぶ部分がある。1968年に、東京、京都、函館、名古屋で起きた拳銃による連続射殺事件だ。この事件の背景にも極度の貧困があった。僕も2012年12月20日付の本ブログで書いているが、この事件を起こした永山の精神面からの検証をしたNHKの『永山則夫 100時間の告白』という番組がある。これを観ると、現代の本当の貧困を知ることができる。