Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

『中坊公平・私の事件簿』(集英社新書)読了。

本書の出版は2000年11月。僕はその初版を買った。どこの書店だったかは覚えていないが、芳林堂書店のカバーがしてあるので、多分以前住んでいた大井町で買ったのだと思う。ところで、これも長らく書棚で積読になっていたものだ。最近、こう言う状況にある本を読むことが多い。自分でも積読が多いな、とは思う。さすがに最近は、図書館の本は公共財産である、と言う意識が僕の中でも強まり、昔ほど本を買いまくることもなくなった。講師業を辞めて、専門書の購入もほぼなくなった。これからは読みたい本と、昔読みたかった本(これが積読)を読んで行こう。

しかし後者はいわゆる「旬のネタ」ではない。買ったときの興味は薄れている。そういう場合はブック・オフに出したりすることに、普通ならなるのだが、雑誌とは異なり、書籍の場合は処分するときの感情的ハードルが高いので、その場合も迷ったりする。

とにかく本書は22年近く、部屋の書棚の奥にいた。そして最近、冬眠が明けて出てきたのだ。

本書には中坊がかかわった14の事件が掲載されている。住専処理のような誰でも聞いたことのある事件から、関係者以外はほとんど忘れられてしまった事件まで。

中坊は自分のことを「出来の悪い落ちこぼれ」(P4他)という。京大法学部を出て日弁連の会長まで務めた人物が「出来の悪い落ちこぼれ」であろうはずは無いのだが、本書を読むと本人が自分のことをそう呼ぶ理由がわかるような気がする。

幾つかの印象に残る事件を見る。

中坊は、男女間や親族間の事件は引き受けないようにしている(P48)という。そのきっかけになったのが、タクシー運転手ドライアイス窒息死事件(P44)だ。この事件で中坊は被害者である運転手の妻と娘の損害賠償請求訴訟において弁護を行った。勝ったところまでは良かったが、この後問題が起きる(P47)。裁判中に被害者の妻が再婚したのだ。中坊の事務所に足しげく通って相談していたのは、妻ではなく主に死亡した運転手の母親だった。裁判によって慰謝料を得たのは被害者である運転手の妻であり、被害者の親には全く入ってこない。この事件でも、被害者の妻は、死亡した旦那の親には一銭も渡さなかった。中坊は「自分が見抜いていれば、被害者の妻に『法的に渡す義務はないが、慰謝料は亡くなった旦那さんの母と分けませんか』と進言したはず。でも見抜けなかった」と言う意味のことを書いている(P48)。中坊ほどの人でも「人の心、男女の関係、と言うのは苦手(P48)」なようだ。

 

森永ヒ素ミルク中毒事件(P50)は本書の中で一番ページを割いている。冒頭陳述の全文も載っている(P59)。この中に、被害児の悲惨な実例がいくつか出てくる。ここも読んで欲しいのだが、その前にある「母親たちは加害企業ではなく、ミルクを飲ませた自分自身をひたすら責め続ける」「(被害児は)近所の子供たちに水や砂をかけられても笑ってやり過ごすが、自分の家に戻るなり、わっと母親に泣きすがる」。中坊はこの状況が許せなかったのだろう。また「この事件が私の弁護士としての大きな転換点になった」とも書いている(P58)。

 

金のペーパー商法豊田商事事件(P136)。社長の永野一男が報道陣の目の前で刺殺されたショッキングな事件だ。中坊はこの事件の破産管財人となった。世間はこの事件の被害者を「欲ぼけ老人」呼ばわりし、批判した。これによって被害者は二度殺された、と中坊は言う。最初は事件の被害者として、二度目は世間から欲ぼけ老人呼ばわりされて(P142)。しかし中坊は違った視点からこの事件を見ていた。それは「老人の孤独(P141)」。被害者は、話がおかしい、と言うことを感じながらも、自分のところに何度も訪ねてきて、話を聴いてくれたり肩を揉んでくれたり、色々と親切にしてくれる豊田商事のセールスマンに感じ入って契約した、と言う人が多くいた。中坊は、そのような被害者と同じ目線に立って仕事を進めることの重要性をここで書いている(P143)。

 

グリコ・森永脅迫犯模倣事件(P158)。ここでポイントになるのは、当番弁護士制度。この制度の発足は、中坊の日弁連会長時代だ。そして、中坊自身も1992年4月に当番弁護士の登録をし、同年10月の当番日に本件がまわって来た、とのことだ(P160)。この制度では、初回の面接は無料で行うことになっているが、本人に資力もあるはずもない。結局「起訴後もずっとタダでやることに」なった(P161)。そしてこの、無料奉仕は、なんと住専処理事件(P192)における、㈱住宅金融債権管理機構及び㈱整理回収機構、両社の社長業にも続いてしまう。「私は1円の月給もいただいていませんし、退職金も一切受取っていない。だからこそと言う訳ではないが、誰に対しても媚びることなく言いたいことを言わせていただいた(P200)」と本人も書いている。これには驚いたな。業務内容にふさわしい報酬を得ることは、モチベーションの維持・向上にもなる。

中坊のモチベーションは、当初の「自分の利益のため」から「他人のためにひたむきに頑張る」ことに変わって行った。そしてその転機になったのが、先に紹介した森永ヒ素ミルク中毒事件だったのだ。(敬称略)