Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

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『1970年代のプログレ~5大バンドの素晴らしき世界~』(馬庭教二 著 ワニブックス 刊)読了。

1959年生まれで、中学2年から、イエスの『危機』がきっかけでプログレを聴き続けてきた著者の、プログレ遍歴をまとめた本。僕も1958年生まれで、ほぼ同年代。中2の時に初めてプログレを知った、と言うのも同じだ。ただし、僕の場合はイエスではなく、ムーディ・ブルースの『セヴンス・ソジャーン』。

本書には、著者が1973年4月に初めて『危機』を聴いた時のことが、昨日のことのように書かれている(P40)。僕が『セヴンス・ソジャーン』を初めて聴いたのは1972年の11月頃なので、ほぼ同時期だ。しかし、異なるのはプログレに接するきっかけかな。著者はNと言う友人(より正確にはNの兄)を介して聴かせてもらったのに対し、僕はひょんなことから一人でこの世界に入ることになった。当時僕はキャロル・キングのファンで、この時期には彼女の第4作目『喜びは悲しみの後に』が発表された直後だった。このアルバムは本当に素晴らしく、全米アルバムチャート1位は間違いない、と思っていた。ところが2位どまり。その時に1位にいたのが『セヴンス~』だった。興味本位で「どんな音楽なんだ」と思って買って聴いてみて、打ちのめされたわけだ。だから、キャロル・キングを聴いていなければ、ムーディ・ブルースを聴くことはなかった(少なくとも何年かは遅れた)と思う。こんなことを思い出してしまうほど、著者は僕と似た体験をしている。僕がプログレを友人と一緒に聴くようになるのは高校に入ってから。自由が丘に住んでいたO君や、世田谷に住んでいたI君の家によく行き、ときには泊りがけで聴き漁った。O君はピンク・フロイド、I君は僕と同じでムーディ・ブルースをよく聴いていた。そして僕を含めた3人に共通していたことは、キング・クリムゾンには一目置いていたことだ。

ジェネシスは5大バンドの中では最も後発だ(生年は皆、1950~51年)。著者はアルバム『月影の騎士』をジェネシスの最高傑作、と評しているが(P231)、同感。僕がこのアルバムで凄いと思ったのは、フィル・コリンズのドラミングだ。所収の「シネマ・ショウ」を聴いてみてほしい。

ELPについては、作品の多くがオリジナルではなく、クラシックを題材としてそれをロック化したものであり(その代表が『展覧会の絵』)、他の4つのバンドと同列に評価することはできない、と言う意見に対し、著者は反論している(P97)。プログレの黎明期に「ロックとクラシックの融合」と言うフレーズが良く使われた(P95)。その典型が、1967年のムーディ・ブルース作品『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』だ。「人の一日」をテーマに各メンバーが作品を持ち寄り、全編にわたってロンドン・フェスティヴァル・オーケストラと共演している。つまり、自分たちが作った曲をオーケストラと共に演奏するのが代表的な「融合」のカタチであった。これに対しELPは真逆のアプローチをとった。クラシックの原曲をロック・トリオで編曲し表現する(P97)。これはこれで面白い。そもそもこのような音楽的挑戦に禁忌はないだろう。

本書は他にも、興味深い記述が沢山ある。一部を紹介しよう。

メロトロンを使わなかったキース・エマーソンの、メロトロン評(P160)。

⇒酷評である。

ビル・ブラッフォードのイエス脱退、キング・クリムゾン加入の理由(P184)。

⇒緻密なスタジオ作業から解放されたかったようだ。

ピンク・フロイドというグループ名の由来(P187)。

⇒ピンク・アンダーソン、フロイド・カウンシルと言う二人のブルース・ミュージシャンからとった。命名シド・バレット

最後に、ジェネシスに参加する前のハケットが当時在籍していたバンドが空中分解し、苦境にあったときに、イアン・マクドナルドが「君のギター・プレイはとても良いよ」と声をかけた、というエピソードが紹介されている(P200)。これは知らなかったな。

1996年12月のハケット初来日の時に、マクドナルドはサポートメンバーとして一緒に来日した(P131)。その公演を友人の画家Iが観に行って、僕はその後ビデオソフトを入手した、と言う記事を以前の本欄に書いたことがあるが、このIが、上記世田谷に住んでいたI君だ。その頃からもだいぶ時間が経ってしまったが、多分この先もずっと、プログレを聴き続けるのだろうな。

今の時代は、不寛容で差別的な格差社会ではあるが、少なくとも好きな音楽を堂々と聴ける(P207~8)。そして僕のような”メロトロンフェチ”が誕生するには、1967~1975年に10代を過ごさなければならない。しかも、レコードを聴ける環境が整った先進国で。そういうことを考えると、本書を読んで大いに共感できる自分というものは、いくつもの幸運な偶然が積み重なった上にいる、と言うことが良くわかる。

この偶然に感謝、だな。