Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

ここ数日の記事で、

僕が「社労士Cafe」に書いた記事の件について触れたが、今日、1週間ぶりにOHに行って確認したら、何と僕の書いた文章が掲載されていなかった。常勤の先生に聞いたところ、東京から「掲載スペースの関係でボツになった。すみません」とのこと(写真を載せるスペースはあるのにな)。何があったのか知らないが、掲載されていない、ということはこちらから確認して初めてわかったことだ。依頼をしてきたのは学校のほうで、僕から頼んだわけではないんだがなぁ。「ブログに掲載したいので、原稿を戻して欲しい」旨を伝えたので、近いうちに掲載できると思う。もっとも、書いてある内容は、いつも言っている、これまでの学習の「総ざらい」のことである。


ところで、いろいろあって書くのが遅れたが、25日に岩倉市であった「シベリア抑留体験の労苦を語り継ぐ集い」というのに行ってきた。第2次大戦末期の簡単な年表をもらった。
1945年2月ヤルタ協定、4月米軍沖縄上陸、5月ヒトラー自殺・ドイツ降伏、6月沖縄陥落、7月初旬ソ連に連合軍との仲介要請、7月26日ポツダム宣言(日本は当初無視)、8月6日広島原爆投下、8日ソ連が日ソ中立条約を破棄し対日宣戦布告、9日長崎原爆投下、15日ポツダム宣言受諾、9月シベリア抑留始まる〜昭和33年シベリア抑留者最終引揚げ。昭和33年は僕が生まれた年だ。
歴史に「タラ、レバ」はないが、せめてドイツと同時期に降伏していれば、その後の悲劇の多くは防げた。まったく残念でならない。沖縄の傷は防げなかったにせよ、今よりは浅くできたのではないか。北方領土問題は存在しなかった可能性もある。2発の原爆の間で目立たないが、ソ連の対日宣戦布告以後、降伏までの1週間の死者は何と83000人だと言う。1日10000人以上が戦死。まさに皆殺し状態である。
日本人抑留者は100万人を超える(ソ連調べで105万2467人、米国調べで111万1650人)。死者は37万4041人(防衛大学タキザワ氏調べ)。抑留者や死亡者の数には諸説あり、定かではないらしい。
残念なのは参加者の中で、僕より若い世代がほとんどいなかったこと。本当は20代以下の若い人にこそ聴いてほしい内容だ。



ところで、コメントを承認制にしました。ただし、基本的には今までどおり、極力掲載の方向。