Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

『不謹慎な旅』(3)

Ⅳ 差別・抑圧の記憶

  私は登ってみたい<大峰山「女人結界門」>(P166~171)

 女性と言うだけで10キロ四方立入禁止。「女人禁制」は信仰に根差した”伝統”なのか、忌避すべき女性”差別”の現場なのか?

 本欄を読んでいる人なら、僕の宗教についてのスタンスはお分かりだろう。基本的に、信じない。無神論者だ。領収書を発生させずに貴重な金を動かす一部の宗教屋は憎悪の対象だ。しかし、全く興味がないわけではない。例えば、雑誌『ムー』にはよく「神」「宇宙神」とかの話が出てくる。また、映画『エクソシスト』で、最後近くになって、リーガンが神父のローマンカラーを見つめるカットがあるが、こう言う所には神的なものを感じてしまう。つまり、娯楽として、もしくは知的欲求としての神的なものを全く否定するつもりは無いのだ。

 大峰山がなぜ女人禁制になったのかについては、伝説によると「修行する役小角(えんのおづね。本山を開いた者)を案じて入山しようとした母親を危険から守ろうと禁制にした」とあるようだ。こんなことが伝説になるのかね。他山にも古来より女性の入山を禁じた山は多いようだ。理由は「女性は性的欲望の対象になり、修行の妨げになる」「山の神は女性なので、嫉妬を避ける」とか、何とも人間的なものだ。こんな理由でも、長く続くと”伝統”になるんだな。

 しかし、開国後の明治期以降、流れは変わり、現在でも女人禁制を常時かたくなに守っている山は、大峰山だけのようだ。そのため、過去には何度か女人解禁が検討されたことがあるようだが、頓挫した。この辺の経緯も本書に書いてあるが、面白い。女人解禁は時代の流れなのだろうが、本文に出てくる男性信徒の言うように「女人禁制でなくなったら、他の山と変わらん。絶対反対」。この気持ち、わからなくはないな。女人禁制は大峰山レーゾンデートルであり、これを壊したら存在意義がなくなる。ふもとの洞川温泉では男性客が減り、女性客が増えているようだ。ここは温泉街を挙げて女性客に出血大サービスをして、その代わり、女人禁制の継続を女性の皆様に許してもらうしかないか、などと考えてしまったよ。