Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

今朝、家の近くにある

笠寺公園を一回りして来た。高台に第2次大戦中に使われた高射砲の砲台の跡がある。そばの案内板を見ないと、何に使われていたのかわからないだろう。今日は台座に触れてきた。日本人が歴史をもう少し巨視的に見れれば、といつも思うよ。
巨視的といえば、8月15日にはもう一つ意味がある。1971年8月15日。ニクソンショック。戦後長く続いたブレトンウッズ体制(ドルの価値を金で裏打ちし、金とドルとの交換を米国が保障。ドルを基軸通貨とし、各国の通貨との間で固定相場制をしく戦後の枠組み)が崩壊し、曲折を経て変動相場制に移行。その後、プラザ合意を経てルーブル合意に至る十数年で、1ドル360円から120円に円は切り上がり、日本の得るべき多くの富が失われた。エコノミストの中には、ニクソンは8月15日を意図的に選んだ、と主張する人がいる。日本は戦後、米国の庇護の下で、安全保障にあまり金をかけずに経済の振興に集中することができた。それによって力を蓄えた日本経済が、今度は米国に経済戦争を仕掛けようとしている、とニクソンは考えた、というストーリーだ。僕はこのストーリーには信憑性があると思う。ニクソンは日本のことを苦々しく思っていたというからね。欧米人が(経済的に)追い詰められたとき、あるいは反撃に出ようとするときに良く使う手が「ルールの変更」である。例えばコンドームの薄さ。日本人が薄さ0.01ミリの商品を開発しても、欧米で規格を0.03ミリと決めてしまえば、日本製品は入っていけなくなる。あるいは基本ソフトである「トロン」。開発者である東大の坂村健教授はトロンを基本ソフトとして広く公開しようとしていた。ところが米国から何と非関税障壁の一つとされてしまったのだ。後に教授は、自分はコンピュータを使いやすくし、広めたいという思考でトロンを開発してきたが、基本ソフトを開発してぼろ儲けをしようとする人間の存在に思いが及ばなかった、という意味の発言をしている。もちろんビル・ゲイツのことだ。例を後一つだけ。これはスポーツ。長野五輪の翌年からのスキージャンプの度重なるルール改正で、船木のジャンプがずたずたにされてしまった。このときの改正は当時世界最強の日本のジャンプに対抗するため、という理由で行われたのは、皆さんご承知の通り。船木のジャンプは、長野五輪団体戦の最終ジャンプ(金メダルが決定したときのヤツ)をビデオで今でも時々放送するが、このときのジャンプはあまり美しくない。やはりワールドカップを転戦していた頃の圧勝シーンがすごい(僕は当時、船木と金田一君を観るためにスカパーを契約していたのだ)。遠くに飛ぶだけではない。美しいのだ。天才を感じたね。
話がそれたが、こんな感じで奴等は自分に都合のいいようにルールを変更し、そのたびに日本は煮え湯を飲まされ続けてきた。なぜか? 日本には仲間がいなかったからだ。非白人の先進国は日本だけ、という状況が長く続いた。しかし21世紀になって状況が少しずつではあるが変わりつつある。中国と韓国の台頭だ。特に中国は高度成長期以降の日本をよく研究しているので、日本のような経済的搾取は受けないだろう。人民元の切り上げ一つ見ても、外圧を理由に行うことはないからね。他国ながらあっぱれである。しかも行動が早い。この辺は一党独裁のなせる業か。日本はこれらの国々のリーダーになる、というよりも輪の中に入る必要があるのだが、過去の侵略行為がそれを阻んでしまう。
8月15日というと終戦記念日の特集は多くのテレビや新聞が企画するが、ニクソンショック以降の為替や経済の特集番組はないなぁ。あれば現在を理解するうえでとても役立つと思うのだが。