開催されていた「対馬丸沈没展」に行ってきました。1944年8月22日に、沖縄から長崎に向かっていた疎開船(対馬丸)が米軍の潜水艦に撃沈され、1788人の乗員のうち、約8割が死亡、学童の生存者は59名であった、ということが、ピースあいちのチラシに書かれています。乗船していた子供たちは、生きていれば80歳くらいでしょうか。日本経済が最も輝いていた高度成長期に青春を過ごしていたはずです。無念だったでしょうね。
対馬丸記念館が沖縄県に開設されたのは知っていましたが、行く機会はなかったので、当地でこのような展示会があったことは良かった。
それと、僕が驚いたのは、ホームページに掲載されている「ピースあいち誕生秘話」です。1993年に建設運動が始まり、県議会などへの請願もおこなわれましたが、愛知万博や中部国際空港といったビッグプロジェクトが優先され、資料館の建設は遅々として進まなかったといいます。そのことを知った一人の女性が、資料館の建設用地90坪と、一生かけて貯められた資金1億円の寄付を申し出たというのです(2005年5月)。これによって建設に目処が付き、2007年5月にオープンしたと書いてあります。お金も、こういう遣い方をすれば、人の心を動かせるんですね。