終了するそうです。というより、まだ続いていたんですね。そのほとんどが医療関係の法人契約で、音声ではなく、文字情報の方が地下などで電波を受信しやすいらしいです。
僕もポケベルを使っていた時期がありました。名古屋に来て数年後、1999年頃だったと思います。当時契約していた、三井物産フューチャーズ(今はありません)の担当営業マンから、ポケベルの貸与を受けて、毎朝、東京市場の始値の連絡を受けていました。午前9時に場が開くと、寄付きの値段が続々と配信されてきたのを今でも覚えています。「うーん、金は980円で寄ったか」とかね(当時の金は1グラム1000円を割っていました)。この会社の担当営業マンは、押しの弱い人で、ちょっと見、営業には向いていないような感じの人でした。でも、この人からは、名駅のZenZeroでスプレッドやストラドルと言った、ちょっと変わった取引を教えてもらいました。その後、この業界でもネット取引が主流になり、僕もそちらの方向に移行していく事になります。
この会社にはもう一人、担当営業マンがいて、この人からは、もっと直接的なやり取りをしたことを、今でも覚えています。当時僕は「東京パラジウム」の先物を買っていました。ある時、この営業マンと話していて「今なら利食えますよ」というアドバイスをもらいました。この人の言うとおりにしておけば良かったのです。欲の皮の突っ張っていた僕は「もう少し上がるだろう」との、根拠のない見込みを立て、この営業マンの忠告を無視して、その後、2000年のパラジウム騒動に巻き込まれ、手痛い目にあうことになります。ま、今から考えると、こういう事があったので、技術も多少は上達したのでしょうが。
ポケベルの終了から、色んなことを思い出してしまいました。