Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

暮れてなほ命の限り蝉しぐれ

中曽根元首相が101歳で、老衰のため死去しました。「三角大福中」という言葉を知っている人はもう多くないかもしれませんが、中曽根派は自民党の弱小派閥です。その領袖が党総裁になることは通常は考えられません。その人物が首相として有数の長期政権を担うことができたのは、本人の力量に加え、時の状況が大きく作用したのだと思います。

中曽根氏を紹介するときによく使われる「風見鶏」も、弱小派閥を率いていかねばならない自身の知恵だったのかも知れません。冒頭の句は、直接中曽根氏の句集から知ったのではなく、僕の大学のゼミの指導教授を通して知ったものです。中曽根氏の経歴から来る心情を良く表していると思います。

中曽根政権下で印象に残っていることは、いくつかあります。

まず、首相として初めて靖国神社公式参拝したこと。この辺の心情は、文芸春秋2015年9月号(又吉と羽田の芥川賞発表号)に「大勲位の遺言」として綴られています。次に、昭和61年の衆院選での300議席を獲得しての圧勝と、それを受けての旧国鉄の分割民営化(昭和62年)。僕はこの時、当時勤務していた学校法人の人事部にいましたが、親父ほどの年齢の国鉄職員が、頭を下げて、余剰人員の再就職先を確保するために訪ねて来られたのをよく覚えています。

こんな事がありました。この国鉄職員は、何度か人事部を訪ねて来られた。ある時「先日、大井町の近くにいらっしゃいませんでしたか」と声を掛けられました。大井町には当時、広町社宅という旧国鉄の巨大な社宅群があった(現在はキャッツ・シアターやスポーツ施設になっている)。この人もここに住まわれていたのかも知れません。話の内容は忘れました(何しろ30年以上前のことです)が、僕に話すときは常に敬語を使われていたことは、よく覚えています。そんな些細な所からも、当時の国鉄の切迫感が伝わってきました。

でも、肥大化した国家機構の修正、小さな政府の流れは説得力がありました。インターネットのない当時、大新聞の影響力は強く、政権批判にはすさまじいものがありました。僕も靖国参拝には批判的でしたが、中曽根氏の弟も靖国神社に祀られていること、また同氏がA級戦犯分祀靖国神社に打診していたことは、最近まで知りませんでした。不勉強でした。

政治というのは有権者の人気取りに終わってはダメで、選挙によって信を得た政治家が、自己の信念に基づいて政策を実行するものでしょう。当然、波風は立つし、批判も受けます。しかし、批判されたからと言って自己の意見を引っ込めていたのでは、政策に賛同して投票した有権者に背くことになります。その意味では(個人的に、賛同するものばかりではありませんでしたが)中曽根氏は自身の信念を押し通して、政策実現に邁進した政治家として、僕たちに記憶されることになると思います。

ご冥福をお祈りします。