「ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由」という副題がついている。
新書で約270ページ。読了するのにそれほど時間はかからなかったが、読み終えたときには、疲労感が押し寄せてきた。昔は雑誌にせよ単行本にせよ、この種のネタを読むのにこれほど疲れる感じはなかったと思うが。
著者は一橋大学経済学部・社会学部卒で、半世紀にわたり、共産党員として活動し、党安保外交部長も務めた人物だ。その松竹が「日本の主要政党で党首公選が実施されていないのは共産党と公明党だけだ。党、ひいては野党共闘を活性化するための一つのカギ」として党首公選を主張し、実施の暁には自分が立候補して安保・防衛政策を訴えたい、という真面目な動機で書かれた、言わば問題提起の本である。ところが著者は、「分派活動をした、敵対行為をした」ということで、党を除名されてしまった。
共産党から抱くイメージとして多いのは、ある日突然結論が出てきて(あるいは結論ありき)、それまでの合意形成の道筋が外部から見えにくい、という点ではないだろうか。記憶に新しいのは、ウクライナに防弾チョッキを送ることについて、同党の田村政策委員長がいったんは「反対しない」と表明しながら、翌日に「党と相談しないで発言した。賛成できない」と態度を翻したことがあった(P8)。これなど、たった一日で何故、正反対の結論になったのか、理由は報道されたが、国民多数が納得するようなものであったか、はなはだ疑問だ。
党首公選の主張は、実現すればこういうネガティブな同党のイメージ刷新に多少なりとも役立つのではないか。ところが、その言い出しっぺを除名処分にしてしまうとは。
我が国は人口が急減し、人口の東京一極集中傾向も強まっている。政治もこのような現実を直視し、地方議会議員及び国会議員数の削減と議員定数のリバランスをすすめるべきだ。そのような政策をすすめるときに、実行するのが自民だけでは話にならない。実現可能な対案を示せる別の政治勢力がどうしても必要だ。
共産党の党首公選は、やらないよりやった方が絶対に良い。野党の存在感を示すことで、与野党間に緊張関係が生まれ、有権者もバカを国会に送り込むような自殺行為を慎むきっかけになるかも知れない。
それを即除名だもんな。オメデタイよ。