Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

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「人新世の『資本論』」(斎藤幸平著 集英社新書)読了。

新書とはいえ、本文だけで370ページ近い大著。読むのは大変だった。と言っても読了したのは数か月前。普段なら、感想やコメントをあまり時間を置かずに書くのだが、ある理由があってのばしていた。日本共産党から、本書に対するコメントが全くと言って良いほど聞こえてこなかったからだ。

僕が著者の斎藤氏を知ったのは昨年暮れだったと思う。「100分de名著」で「資本論」が採り上げられ、その時の解説が同氏だった。この番組で火が点いたのか、その後書店に行くと、何と新書売上第1位になっていたりしたものだ。このブログの読者の中にも、既に読んだ人がいるかも知れない。

今の社会は毎年のように、地球温暖化による異常気象に見舞われる、しかも、異常の程度はもはや殺人的だ。実際、世界中で多くの人々がそのために亡くなっている。温暖化の元凶の一つは富裕層が排出する大量の二酸化炭素で、具体的には世界の上位10%が、日常で排出される二酸化炭素の50%を排出している(P81)とあるが、これがなぜ「資本論」と繋がるのか。

資本論」の第1巻は1867年の刊行だ。しかしその後、マルクスの存命中に続巻の刊行はなく、1883年の死後、エンゲルスによって第2、第3巻が刊行された。しかしこの中には、第1巻の刊行後にマルクスが傾倒していった2つの研究(エコロジー研究と共同体研究)は収められてはいない。斎藤氏は、晩期マルクスのこうした一連の思考過程を含めたMEGAと呼ばれる新全集刊行委員の一人だ。

そして晩期のマルクスは、前記2つの研究を進めることで(結果的に本人の死去によって書物としてまとめられることは無かったが)、加速主義ではなく減速主義、経済活動をスローダウンさせることによって、生産力至上主義から脱成長を目指す、これは資本主義で目指すことは出来ず、コミュニズムでしか達成しえない(これを「脱成長コミュニズム」と呼んでいる)。そしてこれを政治によって達成するというより、労働者による協同組合や地方の都市レベルからの動きが欧州を中心にしてすでに生まれつつある、と本書は解く。

内容的に潤沢できりがないので、あとは本書を読んでほしい。そのためには「100分de名著」の「資本論」から入った方が、本書をより深く理解できると思う。

ところで本書の初版は、2020年9月22日。刊行からもうじき1年経つ。この間、日本共産党の機関紙「赤旗」に、何らかの特集記事やインタビューが掲載されたことも無いようだ。気候変動、文明崩壊と言ったシリアスな事柄を扱いながらも、斎藤氏の文章の根底に流れるものは、人類に対する暖かい眼差しである。論旨として、日本共産党の主張とかなりの部分で重なるところがあるように思える。それなのに何故、日本共産党は同党の有する発信媒体の中で斎藤氏および本書を取り上げることをしないのか???

恐らく関係者の多くは本書を熟読していると思う。その中で従来からの同党の主張、また、選挙政治を契機とするというより、市民活動や協同組合を重視するという斎藤氏の主張との整合性を事細かに考えているのではなかろうか。だとしたら、考え過ぎて時間を無駄にしているとしか思えない。あるいは、目の前に突然、超魅力的な宣伝材料が現れたものだから、「これは夢じゃないか」と疑心暗鬼に陥っているのか(相場でも、時々、「絶対に獲れそうだ」というチャート局面が突如出現し、「待てよ、これは罠じゃないか」と勘ぐってしまうことがあるが、これと似た状況)。

まぁ、リベラルな常識人が本書を読めば、「これは日本共産党にとって、願ってもない援軍が現れたな」と普通は思うだろう。しかし肝心の同党が、本書について何も触れないのなら、何故そのような扱いをするのか、異論でも反論でも、その理由を明らかにしてほしいものだ。不気味な沈黙が長く続く状況は、かえって同党の立場に誤解を持たれてしまうと思うのだが。

と、こんなことを考えていたら、本年6/11の中央公論.jpの記事(初出は「中央公論」7月号)で、同党の志位委員長が「物質代謝論」についての話をしていた。こういった部分については斎藤氏の著作の影響が色濃く感じられるのだが。また、昨年7/11には、大阪革新懇40周年記念公演で斎藤氏が登壇しているのを、日本共産党大阪府委員会が報じているので、少なくとも地方レベルでは連帯は見られるようだ。

言葉はちょっと悪いが、今の同党の状況から言って、斎藤氏とその著作を利用しないのは不思議だ。部外者にはわからない「何か」があるのかな。