前にどこかで、村上作品は、デビュー作からずっと読んできたが、「ねじまき鳥~」の頃から、僕の本業が超多忙になり、読まなく(読めなく)なってしまった、と言うことを書いた。社労士講師業を辞めて3年、ようやく昨年あたりから、読みたい本が読める生活を送ることができるようになった。しかし「じゃあ、読めなくなったねじまき鳥の第3巻から」と、簡単に読むのを再開できるようなものではない。
そこで、この作家の小説以外の作品で、小説を読むときにも助け(というか、力)になるようなものになるかも知れない、と言うことが本書を選んだ理由の半分。実はもう半分(こっちの方が主たる理由だ)は、アキバの書店で、江川卓の新刊『巨人論』が目に留まり、「今度コイツを読んでやろう」として、表紙を写真に収めていたら、その右に村上の本作がたまたま置いてあったのだ。上記のように、僕は村上作品を再読するきっかけを探していた。タイトルを見て、本作から入るのが適切なように思われたのだ。
本書の幾つかのところで著者は「自分は小説を書くための資質を少しばかり持ち合わせていた」と言う意味合いのことを述べている。まぁ、大変な謙遜だが。良く、天才でもその才能は1%、残りの99%は汗(努力)という意味のことが言われる。それもそうだが、村上が99の努力をしても、彼に1%の才能が無ければ、99は無駄になってしまう。つまり、1%の才能(本人が言う所の「資質」)を村上が持っていてくれたお陰で、また彼がその才能におごることなく努力をし続けてくれたことで、我々は今、彼の作品を読むことができる。
本書には、村上が小説を書き始める前のことも書いてある。そしてその時に、ちょっと不思議なことも起っている。それは幸運とか、彼にとって明らかに良いことだ(P38)。ま、これは誰にでも言えることだが、才能だけではダメ、それを伸ばすための努力だけでもダメ、それにプラスして、時代や、運と言ったものも時として大きな影響力を持つ。多分、そういうものを上手く手にすることができる人と、そうでない人がいるのだ。村上は上手く手にすることができたのだろう、と思う。
もう一つ、決定的な事象が書かれている。それは村上が、1978年4月に神宮球場で「自分にも小説が書けるかもしれない」と言うことを自覚した瞬間のことだ(P46~)。彼は「エピファニー(突然の目覚ましい理解の感覚)」と言う難しい表現を使っている(村上は英米文学作品の翻訳者でもある)が、僕はここを読んでいて、イチローがセカンドゴロを打って凡退したときに打撃開眼した、と言う話を思い出した。
イチローにせよ村上にせよ、そういうことが自分に起こった、と言うことを自覚できることも含めて、天才と言うしかない、と僕は思う。「あとがき」で村上は自分のことを、基本的には「ごく普通の人間(P344)」だと書いてはいるが。
僕は凡人だが、やはり今までの人生で、自分の頭上にひらひらと落ちて来たモノを拾ったことで、社労士の受験講師業、というニッチな仕事を30年近く続けることができた。
そして今も、まぁ言ってみれば、それなりに面白い人生を生きている。イチローや村上に比べると、全然スケールも小さいし、カネも無いのだが、自分も、空からひらひらと落ちて来たモノを捕まえて、それを大事に育てることができた人生ではあったのかな、などと思ってしまったよ。