Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

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『スティーヴ・ハケット自伝』~ジェネシス・イン・マイ・ベッド(シンコーミュージック・エンタテイメント 刊)読了

ハケットは現在でも僕が追っている、数少ないアーティストの一人。

全9章のうち、誕生からジェネシス加入まで(1~3章)、ジェネシス期(4~6章)、その後のソロ(7~9章)。今まで聴いてきたジェネシスとソロ作品について、収録時の環境や心理状態などが詳細に書かれており、読んでから聴くと、より楽しめそうだ。

ここでは、僕が本書を読んで驚いた点や、新たな発見があった箇所を中心に書いてみたい。

 

ハケットの人となりについては、本書を読んで、寛容さ、オープンという表現がピッタリくるように思う。様々な人との関わりが書いてあるが、ミュージシャン(あるいは同じ業界にいる、いわゆる業界人)であるか否かを問わず、否定的な表現で人を論じる部分はほとんど出てこない。例えば、前任者のアンソニー・フィリップスについては「彼の12弦の曲は繊細で素晴らしい」「彼と私は友人となり、その付き合いは今も続いている(P130)」とある。バンドの前任者と数十年にわたり、良好な関係を保てる、というのは一つの才能だろう。ただ、昔からのファンにとっては、面白い(というか興味深い)記述もある。それはロバート・フリップに関するものだ。ハケットのフリップ評は「学校の教師(P162)」。ここでは、あるディナー・パーティーでのチーズのエピソードが出てくるが、これが原因で「過去40年間に、フリップからは一度も夕食の招待を受けたことはない」らしい(フリップは「自分の後任がいるとすれば、ハケットがその第一候補」と思っていたようだが)。

それから、70年代のジェネシスはメロトロンを効果的に使っていたが、最初のメロトロンは、クリムゾンから買った中古品を使った(P155)。この時ハケットは「クリムゾンがメロトロンを4台持っていたのに驚いた」と書いている。1969~1975年頃までの両バンドには、メロトロンを効果的に使った曲も多い。本書を読むと、バンドにメロトロンを導入するのは、トニー・バンクス(キーボード奏者)ではなくハケットだったのか、という思いが強くなる。確かにハケットのファーストソロ『待祭の旅』でのメロトロンの大活躍を見ると頷ける点はあるが、これについてはバンクスの話も聞いてみたいものだ、と思った。

ジェネシスを語るときに絶対に避けて通れないのは、ピーター・ガブリエルからフィル・コリンズへの、リード・シンガーの交代の件だろう。交代後の最初のアルバム『トリック・オブ・ザ・テイル』は、発売直後に輸入盤ショップで買い、ゾクゾクしながら聴いたものだ。このアルバムは良かった。何がって、曲そのものの良さが光った。その意味ではムーディー・ブルースのそれまでの作品群(コア・セブンと言われるもの)に近い感じがした。同時に、こう言うのは多分ガブリエルは好みじゃないんだろうな、とも思った。何と言うか、アルバム全体から受ける印象が優しすぎるのだ。結局この交代によって、ガブリエルの持つシアトリカルな激烈さは全くなくなってしまった。次の『静寂の嵐』『眩惑のスーパー・ライヴ』で、僕のジェネシス遍歴はほぼ終わる。確か後者発表の翌年(1978年)にジェネシスは初来日している。元イエスキング・クリムゾンビル・ブラッフォードが加入(正式にはツアー・サポートメンバー)、ということだったが、この時は個人的な事情で観には行けなかった。これは今でも残念に思っている。

ハケットと他のメンバー間に隙間風が吹き始めたのは『トリック~』の辺りからだったようだ(P195)。特にベース奏者のマイク・ラザフォードとの関係は、抑えた筆致で客観的に書いているだけ、かえってラザフォードの感情の波、というべきものが感じ取れる(P195,266)。当時、日本のファンの多くは、ソロとバンド活動を両立させるハケットの活動を支持する声が多かったように思う。また、最終的にハケットがジェネシスを脱退したときも「フィルのバンドにギターはいらない」と言ったという記事を専門誌で読んだ記憶がある。でも実際は『待祭の旅』の好評を得て、ソロ活動にドライブがかかった状態のハケットに対し、当然ながら、他のメンバーは複雑な目で見ていたようだ。言い換えれば、このファーストソロ作品は、他のメンバーにとっても、それほど衝撃的な作品だった、と言うべきか。

2007年のジェネシス再結成のときも、ハケットは「誘われればオーケーするつもりだったが、彼らは3人だけでやりたがった(P265)」。この時すでにハケットは「ジェネシス・リヴィジテッド」を成功させ、過去に本欄でも書いたが1996年にはイアン・マクドナルドジョン・ウェットンらと来日公演もしている(P247)。その辺のこともあったのかな。

 

普段からよく聴いているアーティストの自伝だけに、楽しく、そう時間もかからずに読めた。この手の本は、収録作品や登場人物が多く、読むのが面倒になる一因だったりするが、巻末に索引があり、苦労することはなかったな。ちょうど本書とともに、ブダペストでのアコースティック・ライヴ(2002年)を借りてきたので、しばらくはこれを聴くことになると思う。