Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

『グレッグ・レイク自伝 ラッキー・マン』(シンコーミュージック・エンタテイメント刊)読了

プログレッシブ・ロック史上最高のボーカリストは誰だろう? ジョン・アンダーソン、ピーター・ガブリエル、ボズ・バレル、ジョン・ウェットン、イアン・アンダーソン、、、。女性ならアニー・ハズラム、ソーニャ・クリスティーナ、、、。

だが、今回の主人公であるグレッグ・レイクの名を挙げる人も多いのではないか(或いはジョン・アンダーソンと1,2を争うか、、、)。

 

本書の刊行は23年7月。図書館に入るのを待っていた。この歳になると、モノは増やしたくない。以前は欲しい本は間違いなく購入していたが、今では図書館の本は住民の共有財産(つまり僕もその一部を所有している)と素直に考えられるようになった。でも僕は、講師時代からのクセなのか、よく本のページを折ったり書き込みをするのだが、当然ながら借りた本にそんなことは出来ない。なので自分なりの代替案として、弱めの粘着の付箋にページとポイントを書いて貼っていたら、先日図書館の職員にそれもダメと言われた。どうやら、きれいに剝がせなかったり、破けてしまうことを危惧しているらしい。あれもダメこれもダメ、で子供時代を思い出したよ。小学校の教員曰く「食べながら道を歩いてはダメ」。これには違和感を持った。子供心に、一度に食べる行為と歩く行為をするのだから、効率がいいだろう、と思ったのだ。また別の教員曰く「一人で映画館に行ってはダメ」。映画(後に「コンサート」も)は観たいときに行くのが一番だ。なぜ禁止するのか。小学校中学年だった僕はこれらに明確に違反した。意味のない規制だと思ったからだ。

レイクの人となりについては、これまで様々な記事やインタビューで何となく人物像を作り上げてはいた。本書を読んでそれがそんなに外れてはいないことが分かった。楽観的で、合理主義者で、寛容で、人がいい。ふざけるなと言われそうだが、僕も同じだ。レイクとの違いは、音楽的才能と財産の額だな。

この自伝では幾つか知りたいことがあった。まず、キング・クリムゾンの結成に至るまで。レイクはロバート・フリップと一緒にギターを習っていたので、互いの実力は良く知っていた。しかし、フリップはギターを他の者に譲るつもりはなかったらしく、レイクにかけた誘いの電話では、リード・ボーカルとベースを依頼した(P62~)。この辺りを読むと、初期のクリムゾンを音楽的にまとめていたのはイアン・マクドナルドでも、メンバーを集めたり、という対人的な部分はフリップも一定の役割を担っていたことがわかる。クリムゾンは後年、フリップのバンド、という認識で捉えられることが多くなるが、その萌芽はこの頃からあったのかも知れない。

ファーストアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は最初、ムーディー・ブルースのプロデューサーであるトニー・クラークが担当するということで、クラークがムーディーズのメンバーとともにクリムゾンを聴きに来た時のことも書かれている(P69~)。別の本で、この時のフリップの言を読んだ。曰く「我々におそれをなした」。本書でレイクはそうは書いていないが、意味するところは大体同じだ。「(ムーディーズの面々は)私たちのバンドの激しさを受け入れる準備が出来ていなかった(P70)」とレイクは語っている。

まぁ、歴史にタラ・レバは無いが、この時点でムーディーズがもう一歩踏み出していてくれれば、メロトロンを駆使する2大バンドのかかわりはもっと深くなったのに、と思ってしまう。

結局クリムゾンのファーストアルバムは大成功したにもかかわらず、ツアーではなくスタジオでの仕事に専念したいと、イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズは脱退してしまう。そんな中、レイクに会いたがっている人物がいた。キース・エマーソンだ(P95)。

ELPの章では1972年7月の初来日公演のことが詳しい。P180にハモンドオルガンに日本刀を突き刺すエマーソンのパフォーマンスの様子が載っている。レイクは「とても詩的な光景」と書いているが、僕も当時、「ミュージック・ライフ」誌(だったと思う)でこの時の紹介記事を読んだが、正直、ピンとこなかった。当時、ビートルズは聴いてはいたが、本格的にロックを聴くようになるのは、もう数か月後だ。

その後プログレを聴くようになって、クラシックの原曲をもとに、ELP風のアレンジを施していく、という彼らのアプローチが徐々に気になりだした。こういうアプローチは、僕はほとんど聴いたことは無かった。ムーディーズなど、他の多くのバンドは自作曲にオーケストラを被せる手法をとっていたが、ELPのアプローチは、それとは真逆。本書にもあるが、彼らが欧米のクラシック作曲家の作品を下敷きにして、自分たちの音楽を構築していることについて、作曲者が存命の場合、編曲について許可をとる必要があるようなのだが、その時のエピソードが書かれていて面白い(アルベルト・ヒナステラの「ピアノ協奏曲」についてP195、アーロン・コープランドの「市民のためのファンファーレ」についてP232~)。エマーソンの自伝は未読だが、この辺のことについて何か書いてあるのかな。読んでみたくなった。

2016年3月にエマーソンが自殺したときのことについて、「ショックを受けたが、正直、青天の霹靂だったとは言えなかった」として、レイクなりの分析を加えている。それは「エマーソンの持つ、暗く臆病な面が、晩年彼に付きまとうようになってしまったのではないか」というものだ(P323~4)。そして驚くのは、同じ章で、自身が末期のすい臓がんに侵されているということを、ついでのように書いていることだ。そしてその直後、「私は恵まれていた」「私は幸運な男(ラッキー・マン)だった」と自作曲にかけて終っている。

 

好きなアーティストの自伝を読み、彼らの曲を聴きながらブログにまとめる。商品トレードの方は介入のおかげでメタメタだが、下げたものはいつかは上がるだろう。悪くない人生だ。

 

『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え』(藤本茂 著 ダイヤモンド社)読了

多くの書店で平積みになっていた話題の本。昨日も書いたが自分の相場は現在、動くのを待っている状態なので、昨日今日でこの爺さんの著書を読んだ。株式トレードの本で、商品先物ではないのだが、テクニカルや資金管理など重なる部分も多い。一気に読めたね。

まず、87歳で現役、というのが凄い。個人的には、90歳までFXを取引していた女性トレーダー(残念ながらもう亡くなられた)を知ってはいたが、年齢的にはその人の次くらいに高齢だ。でも、表に出てこないだけで、高齢トレーダーは結構いるのではないか、と読後に思った。

冒頭に著者の一日のスケジュール表が載っている。何と、2時に起床、20時に就寝。その間ほぼ、相場づけの生活だ。

Part 1 では、著者の生い立ちからバブルの生成とその崩壊、ネット取引との出会いまで。ペットショップ勤務時代に株を知り、その後、雀荘の経営で成功、この雀荘を売り、専業投資家になったのが1986年。バブルの前夜だ。バブルの波に乗って資産を10億まで増やしたが、崩壊でそれが2億に減ったと書いてある(P41~)。しかし「2億もあれば仕事をしなくても生活できる」と書いてある通り、奥さんと旅行したり、とても資産を激減させた人とは思えない行動をするのだ(P43)。この辺のメンタルの強さはトレードには必須なんだろうな。

Part 2 では、著者のトレードづけの一日が、詳細に紹介される。特にP104以降では「全部見せます! ある日の取引」として、銘柄・株数・損益が一覧で示される(この日の実現益は47万円超!)。更に、使っている証券会社とパソコンの詳細が明かされるが、スマホを持っていないのには驚いた。

Part 3 では、著者独自の売買ルール(P136~)、よく使うテクニカルの解説(P155~)が書いてあるが、後者については特殊なことは何も書いてない。RSIなど、特徴的な使い方をしているのか、と思っていたが、全然普通である。ということは、この人は売買センスが良いのだろうな、などと考えてしまった。

Part 4 では、株式売買について、心理面・技術面から考察している(P200~)。「見せ板」や「IPOセカンダリー」などの話も出てくるので、今現在トレードしている人向けのところかもな。

Part 5 では、健康面も含めた本人の日常が書かれている。ここで、02年に著者が関西のローカルテレビに出演したとき、ある学者に「不労所得で儲けようとせずに、ちゃんと働け」と言われた話が出てくる。あるあるだね、この手の話は。それでいて日本人は、ウォーレン・バフェットの話には無批判に飛びつく。欧米の投資家が日常的に利用している先物市場やローソク足が日本人の発案であることも知らずに(多くの日本人は未だに知らないだろう。教育の機会もほとんどないしな)。

ところで、本書には「コラム」が幾つか挿入されているが、「ラルフ・ビンスの実験」がP200に出てくる。このエピソードは僕もどこかで読んだことがあるが、著者も知っていたのだ。いや~、勉強してる、負けられないな~。

 

『高学歴難民』(阿部恭子 著 講談社現代新書)読了

学歴信奉者というのは今でもわんさといるんだね、というのが、読後直ぐに思ったこと。著者は「World  Open  Heart」というNPO法人を主宰している。この法人は我が国で初めての、犯罪加害者家族を支援するための法人だ。著者が本作を上梓した大きな理由は、社会に溶け込めない高学歴難民が、生きるために犯罪に手を染めてしまう事例があるからだ。本書ではそのような事例を幾つも紹介している。ここからわかるように、本書は学者による論考ではなく、社会活動家による実践的なルポだ。それだけに取っつき易く、全体で200ページも無いのですぐ読める。しかし読後には、重いやりきれなさが残る。それはつまりこのようなものだ。彼らは様々な分野で優秀な人が多い。その特性を自分や家族の幸せ、地域や国の発展に使うことができないのだ。考えようによってはとてももったいないこと、残念なことだ。

印象に残った記述をいくつか紹介しよう。

・誰とも話をしない日が続いていたので、取り調べさえ楽しい時間でした(日本文学博士課程 30代女性 P17)。

・先に司法試験に合格した大学の後輩に対し、呼び捨てではなく「さん」付けで呼ぶように注意された(法科大学院修了 30代男性 P107)。救いがあったのは、この男性は運転が趣味で、それを活かしてタクシー運転手の職を得たことだ。著者も「完全に違う職種に着地点を見いだせて良かった」(P112)と書いている。

・「中年男性高学歴難民の前科者より厳しい就職事情」(P168)では、何故厳しいのか、その理由が書いてある。出所者は規則正しい生活を送って来たのに対し、「中年男性~」は昼夜逆転者も多く、集中力に欠け、勤労意欲も高くない、とのことらしい。

 

ここからはちょっと自分のことを書いてみたい。僕は社労士国家試験の受験講師業を30年近くやって来た。社労士は法律系国家資格の一つで、もちろん、合格し各県会に登録しなければ社労士と名乗ることは出来ない。しかし受験講師は受講生に試験科目を理解させ、合格に導けばよいので、本人が社労士試験に合格していなくても、受講生を合格させるだけの実力があれば、それで良い(しかし現実的には社労士資格を持っている講師の方が受講生は安心するだろうが)。簡単に言うと、実力の世界であり、どこの学校を出たかは関係ない。

更に現在僕の収入で、一定の割合を占めるのはトレードによる収入だが、このトレーダーと言う職業は、究極の実力による世界だ。短期的に運が作用することは否定しないが、ずっとツキが続く人はいないだろう。

こう考えると、僕は30代からの30数年を、ずっと実力だけの世界で、何とか生き続けることができた(もちろん様々な人たちの助けを借りてだが)。ところが60代も半ばを過ぎ、定年後の再雇用も満了しようか、というこの時になってもまだ、「あいつの出身大学は〇〇大学」などと学歴の話が日常的に出る職場もあるようだ。日本を代表するオピニオン紙の関連企業。驚いたね。新卒時から40年以上経過しているのに、まだ、、、。

ま、自分的には、実力が評価される(というか、それしか評価されない)世界で、幸運にも生き続けることができた。まだ終わっていないが、本当に良かったよ。

 

本書に戻ろう。最後に著者が興味深いことを書いている。それは「実は高学歴、という人が、意外なところで働いているかも知れない」ということだ(P187)。「肉体労働の現場でも高学歴者はいる」「あなたを接客したセックスワーカー(本書では、高学歴貧困難民女性の「(セックスワークは)素性を知られず効率的に稼げることが大きなメリットであり、教職者と売春婦という二つの顔を持つスリルも手放せない」という証言を掲載している(P76))も、あなたの出身大学の教授よりもレベルの高い大学の出身者かも知れない」と。

 

人を、職業や外見から決めつけ、馬鹿にしてはいけない、と筆者は言うが、まったくその通りだな。

 

 

 

『デンマーク人はなぜ4時に帰っても成果を出せるのか』(針貝有佳 著 PHPビジネス新書)読了

表紙には「国際競争力ランキング2年連続1位」とある。集計はIMD(国際経営開発研究所)。ちなみに我が国は2022年は34位、23年は35位(P31)。これだけの差があると、もうデンマークは我が国のライバル、とはとても呼べない。むしろ、目標、と呼ぶべきか。しかし、本書を読んでから改めて考えるに、目標、という言葉で彼の国を表現することも適切ではない、と思うようになった。何故かというと、目標というのは、追いつこうと努力や工夫をすることで、追いつくか、少なくとも距離が縮まる可能性がある状況を指す。しかし本書を読んで、努力や工夫以前に、両国民の民族性の相違の問題、と考えるようになってきた。

例えばこういう記述がある。「家事育児は女性が担うという考え方が通用しないのだから、男性は仕事を言い訳に家事育児を放棄できないし、女性は家事育児を言い訳に仕事を放棄できない」(P52)。したがって我が国にはいまだに一定数が存在する「結婚して専業主婦になりたい」とか「ちょっと社会を経験して、寿退社したい」という女性や、「一家の大黒柱として仕事しているのだから、家事育児は妻」という男性には、そのような考え方が通用しない、という意味で「厳しい社会」と言える(P52)。

また、少人数かつプラグマティックな組織で、意思決定も早い(P90)という記述もある。僕も経験あるが、我が国は会議への出席者もやたらと多いし、終了時間も決まってないこともあるしな(P81~88)。

読み進んでいくと、デンマークの成功は、現在の我が国の方法論の正反対を行っていることがわかって来る。例えば「襟は正さなくていい 形式・手続・ルールは要らない」では「仕事の本質は成果を出すことであり、形式・手続・ルールに従うことではない」(P126~8)。なすべきことがなされていれば、スタイルや形式は問わない社会だ。

 

ところで、トレーダーにとって「なすべきこと」とは利益を上げること。つまり、きちんと利益が積み重ねられていれば、どういう手法でトレードしたか、とか、どのようなテクニカルを使ったか、は問わない、と言っているのと同じだ。どうやら、きちんと儲けているトレーダーにとっては、デンマークは生きやすい国であるのかもな、などと思ってしまったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『日の名残り』(カズオ・イシグロ 著 早川書房 刊)読了

良い作品だった。名家に長く仕えた(現在も仕えてはいるが、雇主が米国人に変わっている)執事(スティーブンス)が、かつて同僚として働いていた女中頭(ケントン)に会うため、休暇をとって英国西部に赴く六日間の自動車での旅を、スティーブンスの回想を交えて綴った作品。ケントンからの手紙を読んで、再び一緒に働く気はないか確認することが、旅の大きな目的であった。この旅は1956年の設定だが、回想の多くはケントンと共に働いていた1930年代(両大戦間の時代)の話だ。特に物語(と言うほどドラマチックなストーリィ展開があるわけではないが)の後半では、両大戦間の英国の置かれた微妙な立場、というか様々な政治的意見を、スティーブンスの語りを通して読者は知ることになる。我々は第二次大戦の結果を知っているので、英国の姿勢に揺らぎは無いように思っていたが、当時、英国内にも様々な意見があったことが、うかがい知れる。

執事の回想なので、僕のような一般の読者には分かりにくいところもあるのは事実だ。しかし読み進んでくると、執事「業界」での序列や、執事の品格に対する考え方が多く語られるようになる。面白いのは、読みながら、この堅物(スティーブンス)の仕事人生に自分を重ねていることだった。僕も社労士という国家試験の受験「業界」で長く仕事をしてきた。その間、嬉しいこと、悲しいこと、怒り、恥など、様々な感情の交錯があったからな。

そしてスティーブンスはケントンと再会する(つまり、この物語の中での「現在」に到達する)。叙述の時間軸が徐々に狭まって現在に収斂される手法も素晴らしい(同時に、自分の「現在」についても色々と考えてしまったよ)。本作を読むきっかけは、ある週刊誌に乗ったレビューだった。僕自身、良いタイミングで本作に出会えたと思う。

 

僕が手に取ったのは、イシグロのノーベル文学賞受賞(2017年)記念版として出版されたもので、巻末には村上春樹が解説文を寄せている(二人は、互いの作品をほとんどすべて読んでいるらしい)。解説後半には、村上によるイシグロ作品の包括的分析が書かれており、これも興味深い。

 

本作は、アンソニー・ホプキンスの主演で映画化もされているという。僕は未見だが、観たくなってきたな。

 

03/12 大阪金ミニ先物 +27.5円 『ザイム真理教』(森永卓郎 著 三五館シンシャ 刊)読了 

1   03/11  21:28  10283.75B  →  03/11  22:37  10297.5S     +   13.75  ×2

この日の取引はこれだけ。よく見るテクニカルでは買を示すものが多かったが、もう少し早くからきちんと見ていれば、もっと良いポジションを保持できたとは思う。価格はその後5分足長期線に絡む形となり、若干押し戻されたが、幸い、ボリンジャーの-1σで踏みとどまり、再度上昇に転じた。この再上昇の8割程を獲れただろうか。まぁ上手く行ったデイトレ

価格はその後、23時に入った直後にいったん急落している。この日は目立った指標発表は無かったので、誰かが何かを言ったか?

 

 

『ザイム真理教』を読んだ。モリタクは多作家であり、著書も相当数にのぼる。その中で読んだのは数作に過ぎないが、本作も分かり易い良書だった。確か本人はどこかで「本作を発表した後、テレビへの出演依頼がかなり減った」的なことを語っていたが、本書を読むとそれも納得だ。我が国の財務政策に正面から反対している本だからな。当初は本書の出版を引き受けてくれる出版社が見当たらずに往生したという(P189~あとがき)。しかもその理由は、原稿のここがマズい、というレベルの話ではなく「そもそも、このテーマの本を出すことができない」という理由からだった。この話を読んだだけで本書を読む価値があると思わないか? 

財政均衡主義」「消費増税」というザイム真理教の教義に対するモリタクの反論とその根拠になった自身の経験(それにしても、「総突合(P18)」などという儀式、まさか今でもあるなんてことは無いよな)が分かり易く書かれている。

自分のようなジジィ世代ではなく、若い世代に読んでもらいたい。特に3章(P53~)では、「財務省の思想や行動が、反社会的なカルト」であることの検証がされている。「カルト」という言葉を使うのは本書の書名からしてもやむを得ないところもあろうが、だからと言っていい加減なことを書いているわけではない。よく言われる「国民一人当たり800万円超の借金」というのも、P56~を読めばカラクリがわかり、「こんなに売れる資産があるじゃないか」と怒りがこみ上げてくるだろう。

5章(P121~)では我が国の重税国家ぶりが国際比較の元で語られる。よく、欧州大陸諸国の国民負担率は我が国よりも高い、と言われるが、サービスもそれに見合ったものになっている。特に公的分野からの教育支出は、我が国は群を抜いて低い(P128)。

6章では厚遇される国家公務員の実体が具体的に書かれる。そういえば僕の友人、知人にも公務員が複数いるが、別荘を持っている奴も何人かいる(改まって訊いたことは無いが)。また、本章で展開される政府の少子化対策への批判は腑に落ちるものがある(P145~)。本書によると、今でも、結婚した男女間には2人に近い子供が生まれている。今の深刻な少子化は、結婚しないのではなく、経済的に結婚出来ないところからきている、という主張だ。したがって、モリタクの考える少子化対策は、最低賃金の大幅引上げや同一労働同一賃金の徹底という、低所得者の収入底上げであり、ベビーシッター利用者支援や出産育児一時金の増額などではない。

7章では、ザイム真理教のサポーターとしての富裕層、大手マスメディア、親衛隊としての国税庁について書いてある。細かくは書かないが、消費税をほとんど負担していない富裕層の実体など、驚くべき記載がある(P164~6)。

記載内容が具体的で分かり易いのは、この人の良い点だ。現在モリタクは、がんで闘病中。相当重いらしい。こういう人には生きて、もっと活躍してもらわなければ。奇跡の復活を願っている。

 

『堤未果のショック・ドクトリン』(堤未果 著 幻冬舎新書)読了

副題には「政府のやりたい放題から身を守る方法」とある。

参考になる部分、賛同できる部分が多々ある反面、こういう著者のような生き方、大変だな、という感覚が読後、ふつふつと湧いてきた。

ショック・ドクトリン」とは、テロや大災害など、想定外の恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである(裏表紙)と説明される。この「過激な政策」とは具体的に言うと「新自由主義政策(規制緩和、民営化、社会保障切り捨ての三本柱)」のことだ(P37)。

そもそも、著者が本書を書くきっかけになったのが、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』だと言う(P36)。9.11同時多発テロによって、米国の軍需産業やビッグテック企業が巨大利権を手にした(P63~4)。その後も、3.11やコロナショックなど、世界規模の大きな禍が起きるたびに、ビッグテックや巨大製薬企業、それと結びついた投資家たちが巨額の利益を手にする構図が、詳しく書かれている(P46,本書第2章)。

この他にも本書では、古今東西で行われてきたショック・ドクトリンの事例を紹介することで、今後、我々が類似の状況に置かれたときに、どう対応すべきかを示している。

そのファーストステップは「今何が起きているのかを知ること」だと著者は言う(P53)。自分の頭で考え、行動する、というのは抽象的で、古臭い表現かも知れないが、正にこれによって、「農家に仕掛けられた温暖化ショックドクトリン」に抗して勝利を勝ち取ったオランダの事例(P268~77)を読んでホッとする。しかし我が国でこのような運動が可能だろうか。我が国の事例も、数は少ないが紹介されてはいる(P266~8「太陽光発電規制条例」を作って、環境ビジネスのやりたい放題から地元を守る、と言う長崎幸太郎山梨県知事の取組み等)。しかし多くの国民にとっては、この「ショック・ドクトリン」というものの存在を認識するところから始めなければならないだろうな。それでも、この存在を知らないでいるよりはよほど良いと思うが。