学歴信奉者というのは今でもわんさといるんだね、というのが、読後直ぐに思ったこと。著者は「World Open Heart」というNPO法人を主宰している。この法人は我が国で初めての、犯罪加害者家族を支援するための法人だ。著者が本作を上梓した大きな理由は、社会に溶け込めない高学歴難民が、生きるために犯罪に手を染めてしまう事例があるからだ。本書ではそのような事例を幾つも紹介している。ここからわかるように、本書は学者による論考ではなく、社会活動家による実践的なルポだ。それだけに取っつき易く、全体で200ページも無いのですぐ読める。しかし読後には、重いやりきれなさが残る。それはつまりこのようなものだ。彼らは様々な分野で優秀な人が多い。その特性を自分や家族の幸せ、地域や国の発展に使うことができないのだ。考えようによってはとてももったいないこと、残念なことだ。
印象に残った記述をいくつか紹介しよう。
・誰とも話をしない日が続いていたので、取り調べさえ楽しい時間でした(日本文学博士課程 30代女性 P17)。
・先に司法試験に合格した大学の後輩に対し、呼び捨てではなく「さん」付けで呼ぶように注意された(法科大学院修了 30代男性 P107)。救いがあったのは、この男性は運転が趣味で、それを活かしてタクシー運転手の職を得たことだ。著者も「完全に違う職種に着地点を見いだせて良かった」(P112)と書いている。
・「中年男性高学歴難民の前科者より厳しい就職事情」(P168)では、何故厳しいのか、その理由が書いてある。出所者は規則正しい生活を送って来たのに対し、「中年男性~」は昼夜逆転者も多く、集中力に欠け、勤労意欲も高くない、とのことらしい。
ここからはちょっと自分のことを書いてみたい。僕は社労士国家試験の受験講師業を30年近くやって来た。社労士は法律系国家資格の一つで、もちろん、合格し各県会に登録しなければ社労士と名乗ることは出来ない。しかし受験講師は受講生に試験科目を理解させ、合格に導けばよいので、本人が社労士試験に合格していなくても、受講生を合格させるだけの実力があれば、それで良い(しかし現実的には社労士資格を持っている講師の方が受講生は安心するだろうが)。簡単に言うと、実力の世界であり、どこの学校を出たかは関係ない。
更に現在僕の収入で、一定の割合を占めるのはトレードによる収入だが、このトレーダーと言う職業は、究極の実力による世界だ。短期的に運が作用することは否定しないが、ずっとツキが続く人はいないだろう。
こう考えると、僕は30代からの30数年を、ずっと実力だけの世界で、何とか生き続けることができた(もちろん様々な人たちの助けを借りてだが)。ところが60代も半ばを過ぎ、定年後の再雇用も満了しようか、というこの時になってもまだ、「あいつの出身大学は〇〇大学」などと学歴の話が日常的に出る職場もあるようだ。日本を代表するオピニオン紙の関連企業。驚いたね。新卒時から40年以上経過しているのに、まだ、、、。
ま、自分的には、実力が評価される(というか、それしか評価されない)世界で、幸運にも生き続けることができた。まだ終わっていないが、本当に良かったよ。
本書に戻ろう。最後に著者が興味深いことを書いている。それは「実は高学歴、という人が、意外なところで働いているかも知れない」ということだ(P187)。「肉体労働の現場でも高学歴者はいる」「あなたを接客したセックスワーカー(本書では、高学歴貧困難民女性の「(セックスワークは)素性を知られず効率的に稼げることが大きなメリットであり、教職者と売春婦という二つの顔を持つスリルも手放せない」という証言を掲載している(P76))も、あなたの出身大学の教授よりもレベルの高い大学の出身者かも知れない」と。
人を、職業や外見から決めつけ、馬鹿にしてはいけない、と筆者は言うが、まったくその通りだな。