Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

『ミック・ジャガー ワイルド・ライフ』2

昨日の記事だけで本書を終らせるのは、やはり無理があると感じた。もう少し付け加えることにする。

 

当時の妻、ビアンカはミックの愛人の中で、カーリー・サイモンを最も恐れた(P154)。理由はサイモンが知性的で、ミックの好みのルックスだったことによる。

この話が出たのは、サイモンの「うつろな愛」がヒットしていたころだ。自分事だが、当時中2の僕は、この曲が入ったアルバム「ノー・シークレッツ」でのサイモンのノーブラのアップにくぎ付けになったのを覚えている。

ミックのグルーピーをしていたころのマドンナの話も出てくる(P209)。70年代の後半の話だ。その後ビッグになったマドンナのウェンブリーでのコンサート後に、ミックは彼女を口説くのだが、グルーピー時代の話はしなかったらしい。マドンナを最初に見たときのミックの印象は「ちょっとの才能と大海のような野心の持ち主(P228)」というものだ。ところで、時系列でみると、この後辺りになると思うのだが、87年、マドンナの後楽園球場でのライブを僕は結婚前のかみさんと見に行くはずだった。ところが、荒天で中止になってしまった。「リヴ・トゥ・テル」や「ラ・イスラ・ボニータ」の頃で、個人的にはこの頃のマドンナが一番好きだった。荒天とは言え、多少無理すれば開催は不可能ではなかったと思う。仕方ないので、パンフだけ買って帰って来た。今でもこのパンフを見ると、残念に思うよ。

8章(P254~)では、アンジェリーナ・ジョリーにアタックするミックが書かれているが、この時彼は50代半ばである(ジョリーは20代前半)。しかしこの話では、ジョリーがミックを手玉に取る。ところで僕は、アンジェリーナ・ジョリージョン・ヴォイトの娘であることを、本書で初めて知った(この話は本記事の主題から外れるので、後の機会に)。

また本書では、ミックの女性遍歴以外でも、様々なトラブルが紹介されている。

例えば、、、。

アラン・クレインの悪行(P117)。オルタモントの悲劇(P125~132,212)と、この事件を題材の一部としたドン・マクリーンの名曲「アメリカン・パイ」の紹介(P132  同曲は既述のマドンナのカバーヴァージョンも、2000年に大ヒットした)。チャーリー・ワッツミック・ジャガーを殴る(P225 ミックがチャーリーのことを「俺のドラマー」と呼んだ。これはどう考えてもミックが悪い)。キースの自伝『ライフ』に絡むこじれ(これも自分事になるが『ライフ』は大分前に購入し、積読になっている。今回『ミック・ジャガー ワイルドライフ』を読了したことで、この1.5倍くらい分量のある『ライフ』に挑戦する気力が湧いてきた)。

と、こんなところか。

 

ところで僕は、2006年のナゴヤドームでのストーンズのコンサートに行っている。僕の社労士講座の受講生で、バンドをやっていた人と一緒に行ったのだが、この時のチケットは何と、貰い物であった。当日の会場も、満員ではなかった。それを見て僕は「今は2000年代であって、70年代じゃないもんな」と思ったりしたものだ。時代の流れを感じたね。

『ミック・ジャガー ワイルド・ライフ』(クリストファー・アンダーセン著 ヤマハ・ミュージックメディア刊)読了

チャーリーの参加から50年になる2013年に発刊された、ミックの半生を記録した伝記。以前読後感を書いた『不道徳ロック講座』でも、ミックに多くのページが割かれていたが、「本当のところはどうなの?」という気持ちもあり、この二段組350ページの大著を読んだ。

pinder.hatenablog.com

 

裕福なミックと労働者階級のキース、対照的な少年時代を過ごした二人が意気投合したのは1961年12月のある朝のこと。ミックが持っていたチャック・ベリーのアルバムにキースが反応したのだ(P39~40)。ここから、長きにわたる二人の愛憎ともいえる関係が始まる。ブライアン・ジョーンズによる「ローリング・ストーンズ命名のいきさつも語られる(P44)。また、ミックの独特の声の誕生のきっかけとなった、バスケットボール中の事故(舌を切って、その断片を呑み込んでしまう)のこと(P35)ももちろん記述がある。

しかし、中心になるのはもちろん、ミックの女性(両性)遍歴だ。本書の大半はそのことに関する記述と言って良い。とにかく数が多すぎて変化も頻繁、ミックとの関係性を確認するのにいちいち他のページを探さねばならなかった。「一夫一婦制は自分には合わない」と言っているが、読んでいて、ミックは一夫一婦制に挑戦状を叩きつけているのではないか、とさえ思ったね。数が多すぎるので、一人に絞ろう。カーラ・ブルーニ。彼女はクラプトンと交際していた。それをミックが寝取り、くっついたり離れたりを繰り返した後、フランス大統領のニコラ・サルコジと結婚するのだが、その前にあのドナルド・トランプとも交際していた(P237他)。こうなってくると、一ロックファンとしてはもう、よくわからないね。

とにかく、一般人にはよくわからない、そういうことが随所に出てくるのが本書だ。ストーンズファンでなければ読破は難しいだろう。僕は本書を1/14に図書館で借りたのだが、先番予約者が誰もいなかったため、直ぐに借りることができた。しかし期限までに読了が難しかったので、返却期限の延長を試みたが、これもすぐにできた(要するに貸出予約者も誰もいなかった)。ビートルズは聴くがストーンズは聴かない、という人も多かろう。「レノン=マッカートニー」と「ジャガー=リチャーズ」を比べるのは後者に酷だ。しかしストーンズがいなければ、騒然とした60年代の代表曲としての「ギミー・シェルター」や「サティスファクション」もなかったし、90年代のIT革命の伴走曲として「スタート・ミー・アップ」や「シーズ・ア・レインボー」を聴くこともなかったのは事実。

これらの曲の中心にいたミック・ジャガーという人物を知るには(ちょっと分厚いが)最適の書、ということになるだろう。

『巨人論』(江川卓 著 SB新書)読了

NPBは、注目選手の出場する試合以外、あまり観なくなったが、江川の現役時代はよく観ていた。ちょうど僕の学生時代から社会人になりたての頃だ。

それよりも前、子供の頃は、TVのプロ野球中継と言えば、巨人戦しかなかった(江川があれだけ巨人入団にこだわったのも、そういうことから受けた影響があったのだろう)。でも、この頃はライバルチーム・阪神の江夏が凄かった。本書でも、江夏の年間401奪三振(1968)は絶対抜けない、と江川は語る(P105)。ちなみに江川の最高は221。これでも十分凄いが。

ところで本書は、全5章のうち4章までが、自身の生い立ちから「空白の1日」、小林とのトレードを経て巨人に入団するまで、及びチームメイトやライバルたちとの思い出話、論評と言った内容だ。時代的には、前記のように僕の学生時代から社会人初期の頃の話が多く、本書の内容には直ぐに溶け込めた。

読んでいて思い出したこともある。僕が学校を卒業して最初に就いた仕事は、あるスポーツ新聞社の校閲の仕事だった。ここはアンチ巨人で有名なところで、特に江川を敵視していた。当然のことながら見出しも、江川を貶めるようなものが躍った。

例えば、江川が鼻血を出して降板したときがあったが、翌日の1面トップは「江川鼻血ブーッ!」(よく考えると、先発投手がアクシデントで降板しただけである)。

もう一つ例を挙げると、後に完全試合を達成する槙原が台頭してきたときは「槙原速い速い 江川時代どんどん過去へ」と言う見出しが1面に踊った(槙原は当時、158キロくらいの速球を投げていた)。これなど、江川を引き合いに出す理由は全くない。ま、それだけ社としてアンチ巨人(とりわけアンチ江川)が徹底していた、ということだ。

こんな時代状況の中で、よく江川は結果を残すだけでなく、我々の記憶にも残る投手となることができたものだ。しかも未だに各方面で活躍している。この辺は彼の人柄のなせる業か。本書を読むとそんなことが感じ取れる。例えば、他選手との関係性の構築。読んでいて、堀内や中畑との関係性の良さはわかる(P27,180他)。しかしさすがに、西本とは微妙だな。本人の中にはまだ、例の沢村賞騒動があるみたいだ。なんせ「立ち直るのに40年かかった(P169)」と書くくらいだから。ところで、この箇所で『江川と西本』という漫画作品が紹介されている。こういう作品があることを僕は知らなかった。本作はタイトルとは逆に、西本から見た江川、を描いた作品のようだ。ぜひ今度読んでみたい。

もちろん本書は、野球の専門家の書いた書籍らしく、随所に専門家の視点からの解説も書かれている(P86~93他)。その中で、佐々木朗希の完全試合について、特異な記録、と江川は言う(P140~2)。それは佐々木が「完全」を達成した同じ試合で、プロ歴代1位タイの19奪三振を記録している点だ。通常、こういう試合になると球数は少なくなるものだが、19も三振を奪うと、必然的に球数は増える。それでも完全試合を達成したことを江川は「稀な試合」と言って評価している。

今でも動画に上がっている全盛期の江川の投球を観ることがある。その凄さは色あせないな。

 

 

 

 

『不道徳ロック講座』(神舘和典 著 新潮新書)読了

本書の帯には「不倫で自粛なんか、するわけないだろ!」という文字が際立つ。僕は本書を例によって図書館で借りたが、その貸出本では、帯は取除かれていた。帯に書いてある内容によって扱いが変わるわけではないだろうが、この惹句は、本書の内容を一言で表している。

ロックを聴き始めた中学生の頃、音楽雑誌で、来日したロックバンド(たぶん、ツェッペリンだったと思う)のメンバーが、滞在しているホテルの備品を壊した、とかいう記事を読んだことがある。細部まで覚えているわけではないが、やったことの割には寛容な書き方だった。その理由は彼らが「外国からのお客さん」だったからか、それとも、ロックスターだったからか、よくわからない。時代の雰囲気、ということもあったかも知れない。著者も「はじめに」に書いているように、今、日本人アーティストが同じことをしたら「一発退場」間違いなし(P4)という話が本書では随所に出てくる。

 

本書は「不道徳」の中身を「性・薬・酒・貧乏」の4つに分類し、主にアーティストの自伝やインタヴューから得た情報をもとに、彼ら彼女らの行状を綴っている、と言っても悪行をあげつらって叩くのが目的の本ではない。ビートルズストーンズ、クラプトンら、多くのアーティストが登場するが、彼らが「おかしな人たち(P5)」であるからこそ、我々は数々の名曲を楽しめるのだ。彼らの存在しない世界など、何と味気ないことか。

「性」では、何を置いてもまず、ミック・ジャガー。本書ではミックを「性豪(P12)」と呼んでいる。浮気相手は4,000人以上(どうやって数えたんだ???)。同性とも関係(この中にはボウイやクラプトンもいる)。そういえば昔、僕の従兄弟が買った『山羊の頭のスープ』というアルバムに「悲しみのアンジー」という曲があった。この曲は、デビッド・ボウイの妻、アンジーにミックがささげた曲だ、という説明が付けられていたが、よく考えると、何でミックは他人の妻のことを歌ったんだ? という疑問が湧く。でも本書を読めばその答えが書いてある。もう手当たり次第なのだ。前記のようにミックはボウイ本人とも関係していた。筆者はこれを評し「平和的正三角関係(P28)」と呼んでいる。

以降本書から、ロックスターの信じられない言動をあげてみる。

ポーラ(パティ・ボイドの妹)に邪な興味を持ったジョージが、クラプトンにパティ(自分の妻だ!)と関係することを勧めた。著者はこれを評して「なかなか問題のある提案(P46)」と書いている。

ルーピーとセックスした結果、性病になって初めて、ロックスターとして認められたようで嬉しかった、というピート・タウンゼントの言葉に筆者は「理解しがたい(P74)」。筆者でなくてもそう思うだろう。

ドラッグをやるとどうなるか、についてジミー・ペイジが書いている(P97)。具体的なことは書かない。本人は恐怖が薄らいでいるからできたのだろうが、読んでいる方は恐怖しか感じない。

1980年にウイングスが来日したとき、ポールはマリファナ所持で9日間拘留された。この間、囚人仲間とすっかり親しくなり、風呂場で「イエスタディ」をアカペラで披露し、囚人たちを感激させた(P142)、とある。世の中に「拘留されたい」と思う人などいないだろうが、このニュースを知ったときは、その場に居合わせたかった、と思ったね。

マドンナ1970年代後半の極貧生活のことも出てくる(P191~)。彼女は1978年7月、ミシガン大学を中退して、単身NYに向かった。所持金は37ドル(当時のレートで7400円くらいだ)。ゴミ箱漁りもしたが、前に進む、という意思は明確だった。ここを読んだとき、ふと、陳満咲杜(ちんまさと)氏のことを思い出した。陳氏は1992年、所持金5000円で来日し、アルバイトをしながら株式投資を開始し、その後、黎明期のFX業界に入った人だ。僕はその昔、陳氏のセミナーに出席して、彼の理論に興味を持ち、セミナー後、「何か参考図書はないか」質問した。これに陳氏は自著を紹介した後「ブックオフなら安く出てるから、そこで買いなさい」と言ってくれた(商売っ気のない人だ)。僕は陳氏の本で、今までと全く異なるRSIの読み方を学習し、その後、収益が安定してきた。

シンディ・ローパーは17歳の時、家を出た。歯ブラシ、下着の替え、リンゴ、そしてヨーコの詩集『グレープフルーツ』を持って(P199)。シンディは人に恵まれなかった。最初のバンドではレイプされ、最初のマネージャーにはギャラを持ち逃げされている(P200)。バイト先の友人に教えてもらい、万引きをするようになり、自己破産申請もしている。その後、ともに暮らすようになったデイヴ・ウルフの紹介でレコード契約し、メジャーデビューした。名曲「タイム・アフター・タイム」はこのようにして誕生したのだ。

 

巻末には各アーティストの自伝を中心とした参考文献が列挙されている。また読みたい本が増えるな。

 

『現代日本経済史』(田村秀男 著 ワニ・プラス 刊)読了

大仰なタイトルだが、副題に「現場記者50年の証言」とあるように、著者が経済記者(日経新聞産経新聞)として関わった、日本経済50年の歴史を振り返ったもの。

本書は全5章から成り、その構成は以下のようなものだ。

1章 1970年代前半 高度成長期の終焉

2章 1970年代後半 ショック続きの日本列島

3章 1980年代   転換の時代

4章 1990年代   激動の時代

5章 2000年代以降 課題山積の時代

 

「経済史」とはなっているが、歴史の教科書的な書き方ではなく、各年代に起こった経済事件に、著者が記者としてどう関わったかを、取材の裏話的なことも含めて書いているので、読んでいて飽きない。

70年代前半、ということで、よど号ハイジャックやニクソン・ショック、日米繊維交渉の話からスタートするが、読後に印象に残ったのは、ロッキード事件やダグラス・グラマン事件以降、米国の方針にタテついた人間は、政治家であれ経済人であれ、ろくな末路を辿っていない、という現実だ。

我々は太平洋戦争で米国に敗北して国土は焦土と化し、300万人を超える戦死者を出した。この多大な犠牲と引き換えに米国から、自由・民主主義・チョコレートをもらった。以降、米国に本当の意味で逆らうことは出来なくなってしまった。しかし本書を読むと、中には我が国の国益を堂々と主張した人物もいた。そのような点も踏まえて本書を紹介して行こう。

まず、田中角栄元首相。ロッキード事件について著者は「司法取引をしたコーチャン(ロ社副会長)は罪に問われず、日本側だけが責任を追及され、逮捕までされた。誰が見てもおかしな事件(P71)」と書く。田中は「米国の頭越し(P72)」に日中国交正常化を成し遂げた。更に、日本のエネルギー調達ルート多角化のため、ドイツや旧ソ連と、長期の外国訪問に出た。これも米系石油メジャーをないがしろにする行動(P72)、に映ったようだ。

プラザ合意以降。米国の産業界をドル高の危機から救うために、大蔵省(竹下蔵相)は嬉々として円高ドル安を受け入れた(P110)。竹下とは異なり、円高の影響を理解し、ベーカー財務長官と交渉するだけの根性も持っていた宮澤喜一蔵相でも、ベーカーを説き伏せることは出来ず、円高が進んだ。ベーカーはブッシュ(父)と同郷で、レーガンの政策では産業界が共和党から離れてしまう、と危惧し、産業界を共和党に引き付けておくにはドル高是正が必要で、そのターゲットが日本だった(P111~6)。

クリントン政権が用意した対日対策特別チームによる強力な円高誘導(P163)。自動車、金融、半導体問題で一定の譲歩を引き出した後の、対中接近(ジャパンパッシング P163~4)。

アジア通貨危機のメカニズム(P184)。ソロス・ファンドにとって、ドルペッグ制をとっていたタイなどアジア各国が絶好の稼ぎ場だったことが、ここを読むとわかる。また、この危機を経験したアジア各国及び日本が賛同し、榊原英資財務官が進めていたAMF(アジア通貨基金)構想の挫折の記述も興味深い。アジア通貨基金構想そのものに中国は賛同していたが、参加の表明まではしていなかった。ルービン米財務長官は北京で朱鎔基第一副首相と会い、AMFへの不参加を求めた。ちなみに朱鎔基はアジア通貨危機の際「米国のファンドが香港ドルの投機売りを仕掛けるなら、我々は香港ドル買い支えのため、米国債を大量売却しその資金を使うつもりだ」とルービンに伝えたことがある(P181)。AMF構想を阻止するため、日本を挟み撃ちにしようと米中が歩み寄った構図が見えてくる。

米国債と言えば、1997年にあった橋本首相の、米国債売却誘惑発言のことも、当然載っている(P224)。本書ではこの発言は「日本は『いくら世界のためだ。黙って金を出せ、と言われても』米国のキャッシュ・ディスペンサーにはならない」と言った、中川昭一財務大臣の発言と併せて紹介されている(P222~5)。中川財相については著者は個人的にも知っていたようで、例のローマでの酩酊会見時には「誰かが仕掛けたのではないか」との疑問が湧いた、と書いている(P228)。結局この二人(橋本、中川)も、ここに紹介した発言後、政治生命を失っていく(P224)。中川に至っては本当に命まで失う(このことについては2009年10月5日の本欄にも書いている)ことになるが、著者の田村も中川については同情的であり、評価もしている(P228~9)。

他にも、日銀総裁人事(P243~8,272~8)のことなど、面白く読めた。特に、白川総裁が一期目の任期満了を待たずに辞任し、黒田総裁に交代することになるくだりは、著者の推測も交えてはいるが、おそらくここに書いてある通りだろう、と納得させられる(P244~5)。

 

我が国を全体主義国家にしたくはない。しかし、この米国との従属めいた同盟がいつまで続くのか、という思いも、読後感として抱かざるを得なかったな。

 

 

 

 

『スティーヴ・ハケット自伝』~ジェネシス・イン・マイ・ベッド(シンコーミュージック・エンタテイメント 刊)読了

ハケットは現在でも僕が追っている、数少ないアーティストの一人。

全9章のうち、誕生からジェネシス加入まで(1~3章)、ジェネシス期(4~6章)、その後のソロ(7~9章)。今まで聴いてきたジェネシスとソロ作品について、収録時の環境や心理状態などが詳細に書かれており、読んでから聴くと、より楽しめそうだ。

ここでは、僕が本書を読んで驚いた点や、新たな発見があった箇所を中心に書いてみたい。

 

ハケットの人となりについては、本書を読んで、寛容さ、オープンという表現がピッタリくるように思う。様々な人との関わりが書いてあるが、ミュージシャン(あるいは同じ業界にいる、いわゆる業界人)であるか否かを問わず、否定的な表現で人を論じる部分はほとんど出てこない。例えば、前任者のアンソニー・フィリップスについては「彼の12弦の曲は繊細で素晴らしい」「彼と私は友人となり、その付き合いは今も続いている(P130)」とある。バンドの前任者と数十年にわたり、良好な関係を保てる、というのは一つの才能だろう。ただ、昔からのファンにとっては、面白い(というか興味深い)記述もある。それはロバート・フリップに関するものだ。ハケットのフリップ評は「学校の教師(P162)」。ここでは、あるディナー・パーティーでのチーズのエピソードが出てくるが、これが原因で「過去40年間に、フリップからは一度も夕食の招待を受けたことはない」らしい(フリップは「自分の後任がいるとすれば、ハケットがその第一候補」と思っていたようだが)。

それから、70年代のジェネシスはメロトロンを効果的に使っていたが、最初のメロトロンは、クリムゾンから買った中古品を使った(P155)。この時ハケットは「クリムゾンがメロトロンを4台持っていたのに驚いた」と書いている。1969~1975年頃までの両バンドには、メロトロンを効果的に使った曲も多い。本書を読むと、バンドにメロトロンを導入するのは、トニー・バンクス(キーボード奏者)ではなくハケットだったのか、という思いが強くなる。確かにハケットのファーストソロ『待祭の旅』でのメロトロンの大活躍を見ると頷ける点はあるが、これについてはバンクスの話も聞いてみたいものだ、と思った。

ジェネシスを語るときに絶対に避けて通れないのは、ピーター・ガブリエルからフィル・コリンズへの、リード・シンガーの交代の件だろう。交代後の最初のアルバム『トリック・オブ・ザ・テイル』は、発売直後に輸入盤ショップで買い、ゾクゾクしながら聴いたものだ。このアルバムは良かった。何がって、曲そのものの良さが光った。その意味ではムーディー・ブルースのそれまでの作品群(コア・セブンと言われるもの)に近い感じがした。同時に、こう言うのは多分ガブリエルは好みじゃないんだろうな、とも思った。何と言うか、アルバム全体から受ける印象が優しすぎるのだ。結局この交代によって、ガブリエルの持つシアトリカルな激烈さは全くなくなってしまった。次の『静寂の嵐』『眩惑のスーパー・ライヴ』で、僕のジェネシス遍歴はほぼ終わる。確か後者発表の翌年(1978年)にジェネシスは初来日している。元イエスキング・クリムゾンビル・ブラッフォードが加入(正式にはツアー・サポートメンバー)、ということだったが、この時は個人的な事情で観には行けなかった。これは今でも残念に思っている。

ハケットと他のメンバー間に隙間風が吹き始めたのは『トリック~』の辺りからだったようだ(P195)。特にベース奏者のマイク・ラザフォードとの関係は、抑えた筆致で客観的に書いているだけ、かえってラザフォードの感情の波、というべきものが感じ取れる(P195,266)。当時、日本のファンの多くは、ソロとバンド活動を両立させるハケットの活動を支持する声が多かったように思う。また、最終的にハケットがジェネシスを脱退したときも「フィルのバンドにギターはいらない」と言ったという記事を専門誌で読んだ記憶がある。でも実際は『待祭の旅』の好評を得て、ソロ活動にドライブがかかった状態のハケットに対し、当然ながら、他のメンバーは複雑な目で見ていたようだ。言い換えれば、このファーストソロ作品は、他のメンバーにとっても、それほど衝撃的な作品だった、と言うべきか。

2007年のジェネシス再結成のときも、ハケットは「誘われればオーケーするつもりだったが、彼らは3人だけでやりたがった(P265)」。この時すでにハケットは「ジェネシス・リヴィジテッド」を成功させ、過去に本欄でも書いたが1996年にはイアン・マクドナルドジョン・ウェットンらと来日公演もしている(P247)。その辺のこともあったのかな。

 

普段からよく聴いているアーティストの自伝だけに、楽しく、そう時間もかからずに読めた。この手の本は、収録作品や登場人物が多く、読むのが面倒になる一因だったりするが、巻末に索引があり、苦労することはなかったな。ちょうど本書とともに、ブダペストでのアコースティック・ライヴ(2002年)を借りてきたので、しばらくはこれを聴くことになると思う。

 

 

『ダーウィンクラブ』(朱戸アオ 著 講談社 刊)全6巻 読了

面白かった。

何よりこの歳になって、過去作品の読み返しではなく、新たな作家の新たな作品を楽しめる、ということが嬉しい。

本作については過去にも本欄で少し触れたことがあった。その時にも書いたが、CEOと一般従業員の経済格差が1000倍以上のGAFAM的巨大企業に、その是正をテロ行為をもって促す謎の団体。この団体に、父親を殺された(と疑われる)元警察官の主人公・石井大良が挑む。

物語の前半、大良が謎の団体に近づき、そこに入るまでの描写は、スリリングだ。カギとなる人物・小川との出会いの場面は、若干のコミカルさも加えて描かれる(3巻P19~40)。この前後(2巻P149~)では、物語の本筋ではないが、労働災害や、今問題となっているアルゴ労働のトピックも使われており、現代的で興味深い。ここから、3巻の後半(P150)辺りにかけてが、本作で僕が最も好きな部分だ。

これに対し、後半はややストーリィ展開に窮屈感が残る。実は3巻の発刊(22年4月)から4巻の発刊(23年2月)まで、10カ月の間がある。作者に個人的な大きな出来事があり(詳細は知らない)、連載を休止せざるを得なくなったようだ。この間、連載の再開を待ち望んでいたファンも多かったと思う。僕もその一人だったが、ひょっとしたらこの休載が、微妙に、作品の後半に影響を与えているのかも知れない。

そしてもう一つ、3巻以降、謎の団体(ダーウィンクラブ)の全貌が徐々に明らかになっていくが、これがまた、巷で問題となっている某新興宗教団体を想起させるところがある。そういえば、安倍ちゃんが狙撃されたのは、22年7月8日。本作の休載は同年6月頃~11月頃。連載再開後、団体内部の描写が多くなってくるが、某新興宗教団体の問題が顕在化するのも同時期だ。このことが作品に何らかの影響を与えている、と考えるのは勘ぐりすぎだろうか。

最後は、この団体(より正確には、その一派であるアングリービーグル)が、まだ終わっていないことが示唆される。この余韻を残したエンディングも良い。

前作『インハンド』はテレビドラマ化されたが、本作も映像化に耐えられる力作だと思う。