副題には「政府のやりたい放題から身を守る方法」とある。
参考になる部分、賛同できる部分が多々ある反面、こういう著者のような生き方、大変だな、という感覚が読後、ふつふつと湧いてきた。
「ショック・ドクトリン」とは、テロや大災害など、想定外の恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである(裏表紙)と説明される。この「過激な政策」とは具体的に言うと「新自由主義政策(規制緩和、民営化、社会保障切り捨ての三本柱)」のことだ(P37)。
そもそも、著者が本書を書くきっかけになったのが、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』だと言う(P36)。9.11同時多発テロによって、米国の軍需産業やビッグテック企業が巨大利権を手にした(P63~4)。その後も、3.11やコロナショックなど、世界規模の大きな禍が起きるたびに、ビッグテックや巨大製薬企業、それと結びついた投資家たちが巨額の利益を手にする構図が、詳しく書かれている(P46,本書第2章)。
この他にも本書では、古今東西で行われてきたショック・ドクトリンの事例を紹介することで、今後、我々が類似の状況に置かれたときに、どう対応すべきかを示している。
そのファーストステップは「今何が起きているのかを知ること」だと著者は言う(P53)。自分の頭で考え、行動する、というのは抽象的で、古臭い表現かも知れないが、正にこれによって、「農家に仕掛けられた温暖化ショックドクトリン」に抗して勝利を勝ち取ったオランダの事例(P268~77)を読んでホッとする。しかし我が国でこのような運動が可能だろうか。我が国の事例も、数は少ないが紹介されてはいる(P266~8「太陽光発電規制条例」を作って、環境ビジネスのやりたい放題から地元を守る、と言う長崎幸太郎山梨県知事の取組み等)。しかし多くの国民にとっては、この「ショック・ドクトリン」というものの存在を認識するところから始めなければならないだろうな。それでも、この存在を知らないでいるよりはよほど良いと思うが。