Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

大阪金先物、8000円/g突破です。

4/15の夜間取引序盤では、高値8116円を付けています。

僕が金投資を始めたのは、既に書いたと思いますが、ワシントン協定の前で、その時の価格は800円台でした(金先物の最安値は1999年9月の836円/g)。そのころと比べるとほぼ10倍です。ま、途中で売り買いしているので、評価額そのものは増減がありますが。

僕は飽きっぽく、淡白な性格なので、何かを初めても長続きしたことはあまりありません。そんな自分が、金の現物と先物では25年近く続いているわけですから、まぁ、合っていたのでしょう。

金や白金については、我が国でもアナリスト、評論家と言われる人がそれなりの数います。だけど、金投資を資産形成のメインに据えてやるべき、との意見は聴いたことがありません。運用資産の1割程度を金投資に振り向ける、と言うのが常識的な発想のようです。しかし僕はそれを無視し、時には運用資産の相当割合を金現物投資に振り向けました。幸いにも金価格は先述の1999年9月を底に上昇に向かったので、タイミングも良かった。お蔭で、零細な個人事業主でありながら、子供の成育資金と、住宅ローンの完済に結構な割合を振り向けることができました。

株もやっていますが、日本経済がこの有様ですからね。もっとも、株で財を成した人もいるので、株が全てダメとは言えません。僕の才能が無かっただけでしょう。それだけに、早い時期から貴金属にシフトして正解でした。もっとも、今後はどうなるか分かりません。でも、この歳になって新たなことに挑戦するには、結構なエネルギーが必要です。よって、まず既存の投資スタイル・技術を洗練させる。その上で余裕があれば、試行的に新たな投資対象に挑戦する。そんな感じで行きたいと思っています。

『マクドナルド&ジャイルズ』再聴、そして再考。

本作は、キング・クリムゾンの創設メンバーであるイアン・マクドナルド、マイケル・ジャイルズの二人が、クリムゾン脱退後に発表した唯一の共同作業の成果だ。

本作を初めて聴いたのは、1975年頃だと思う。僕のリアルタイムでのクリムゾン体験は、1974年頃、第2期クリムゾンの最終作、『レッド』からだ。この前後にデビュー作の『宮殿』以降、『暗黒の世界』までの作品を短期間で聴いた記憶がある。確か『宮殿』を聴いたのは『レッド』より先だったと思う。あるバンドのファンになると(クリムゾンのような特殊なバンドならなお更)、直ぐにでも、最新作に至るまでの、そのバンドの音楽的変遷を知りたくなるのは、自然な感覚ではないかな。

既にその頃から、デビュー作の『宮殿』と当時の最新作の『レッド』とで、なぜこうも異なる印象の音楽になっているのだろう、と言う疑問を持ってはいた。その疑問は、後に、アルバムごとの度重なる構成メンバーの変遷を知って納得するのだが。

第1期の代表作『宮殿』はマクドナルド、第2期の代表作『太陽と戦慄』はフリップを中心に制作された。先述の「異なる印象」の原因は、マクドナルドとフリップ、二人の、大きく異なる音楽的特性からくるところが大きい。その違いが良くわかるのが、本作『マクドナルド&ジャイルズ』とクリムゾンの第2作『ポセイドンのめざめ』両作の違いだ。『ポセイドン』は(マクドナルドが主体となった)『宮殿』に挑戦するような作品だ。レコードのA面の曲調は、両作とも「ハード→静寂→ドラマチック」と言う順で並ぶ。しかし、その出来は全ての曲で『宮殿』の収録作には及ばない(確かにタイトル曲「ポセイドンのめざめ」などはメロトロン好きにはたまらない曲ではあるが)。フリップの思想が音楽的に結実するのは『太陽と戦慄』からなので、『ポセイドン』から『アイランズ』までは、フリップは『宮殿』の幻影と戦っていた、と言うような印象さえいだいてしまう(ファンなら、この時期の多くの曲が「フリップ=シンフィールド」の共作と言うことは知っているだろう。シンフィールドはマクドナルドの盟友、つまり『宮殿』側の人間である)。

しかし、マクドナルドとフリップの関係(言うまでもなく、この二人は、ともに天才だ)が、それほど険悪だったのか、というと、そういう感じでもなかったようだ。『レッド』にはマクドナルドがゲスト参加しているし、以前観た1990年代辺りのインタビュー(確かBSTBSで放送された)では、マクドナルドはフリップに関し「彼はとてもユニークな人間」と言う意味のことを穏やかに話している。ま、ファンの勝手な推測だが、『ポセイドン』の前にマクドナルドがクリムゾンを抜けたのも、メンバー間の確執、というより彼自身の精神的な問題であったように思う。

 

実は今回『マクドナルド&ジャイルズ』を再聴したのも、いつも音楽を聴くためだけに使っていたソニースマホが機嫌悪くなってしまい、再起不能のようなので、昔使っていたウォークマンを引っ張り出した。そして入っているアーティストを見ていたら、マクドナルドの作品が二作入っているのに気付いたからだ。そのうちの一つが本作。もう一つは1999年発表の『ドライヴァーズ・アイズ』。これについて書くのは後日にしたい。

本作『マクドナルド&ジャイルズ』の発表は1971年1月、クリムゾンの2作目『ポセイドン』は1970年5月だ。時間的にも近接している。結局、クリムゾンは、フリップのギターとメロトロンが描く、暗く耽美的な即興演奏の方角に進みだしたわけだが、本作を聴くと、その後のクリムゾンの世界観とは大きく異なる音楽を聴くことができる。そして、少なくともクリムゾンの2作目よりは、本作の方が出来が良い。本作を一言で評するならば、もしマクドナルドがクリムゾンを脱退せずに、1作目と同様に音楽的主導権を握って、好きなようにクリムゾンの2作目を作っていたら、本作のようなものが出来上がったのではないか、と言うことだ。無論、実際にはそうならなかったわけだが、マクドナルド主導のクリムゾン、というものがもし存在していたら、と想うファンの無いものねだりを、少しではあるが満たしてくれる作品が本作である、と僕は思う。

でも結局、これ一作で終わってしまったのは、高評価がクリムゾンファンの間だけに留まり、マーケット全体の支持を得られなかったからだろう(クリムゾンの『ポセイドン』は全英4位を記録したが、本作はチャート・インした記録を見つけることは出来なかった)。

ところで、1970年代初頭と言えば、我が国では大阪万博を思い出させる。万博については過去に本欄でも触れたことがあるが、当時12歳だった僕には万博会場は正に未来都市のように思えた。そういう未来への希望、躍動感みたいなものが本作には感じられる。特に「明日への脈動」「バードマン」と言った曲にそういうイメージが顕著だ(やはり、その後のクリムゾンとは大分違う)。ま、クリムゾンやマクドナルドと大阪万博は何の関連も無いのだろうが、僕個人の歴史の中では、1970年代初頭と言う時代背景の中に、本作や万博が上手く収まってしまうのだ。

『正しい恨みの晴らし方』(中野信子 澤田匡人共著 ポプラ社刊)読了。

つまらない本だった。いや、タイトルから想像するほど面白い本ではなかった、と言うべきか。本書の副題には「科学で読み解くネガティブ感情」とあるが、これをメインタイトルにした方が、本書の内容にふさわしい。でもそれじゃ売れない、と編集者は思ったんだろうな。

また、本書の裏表紙には「ネガティブ感情をコントロールできれば、自分の力をより発揮できる!」とある。しかし僕は、自分の力をより発揮したいと思って、本書を手に取ったわけではない。手っ取り早く、効果的に恨みを晴らす具体的な方法(証拠が残らなければなお良い)を知りたかっただけなのだが、本書には書いてなかった。考えてみても、そりゃそうだろうな。そうなってくるともはや犯罪の指南書になってしまうからな。

と言うことで、僕は無いものねだりをしていた訳なのだが、それを差し引いても本書がつまらなかったのは、結果的に僕には、そこまで恨みを募らせるような人間がいない、と言うことなのかも知れない。

読後に、自分は何人くらいの人を恨んだことがあるだろうか、と自問自答してみたが、60数年の人生で、だいぶ基準を甘くして、せいぜい4人前後。全て男だ(女は僕にとってむしろ恐れの対象だな)。次に、こいつ等がいなかったら自分の人生が変わっていたか否か、を考えてみた。おそらく多少は変わっていたと思う。でもそれは、入った学校とか、就職した会社とか、そういう類だ。僕と言う人間の大筋が変わった訳ではないと思う。

 

しかし二人の著者とも(きちんと数えてはいないので印象になってしまうが)、特に澤田の方に「引き出し」が多い(中野の方にも、それなりにある)。「アメリカの誰々と言う研究者が言うには、、、」と言う表現が随所に出てくる。ま、この分野の先行研究は欧米に多いので仕方ないことなのだろうが、本当にたくさん出てくるのだ。こういうのを知りたい読者には良いのかも知れないが、僕にはそういう気はないので、食傷気味になってしまう。

本書では「心理学の視点から」とある章は澤田、「脳科学の視点から」とある章は中野が書いている。その中の4章「正しさにこだわる人たち」は心理学の視点、すなわち澤田の章だ。ここでは「同調圧力」についての批判的分析が展開されている(P102)。また、5章「正義と言う名の麻薬」は脳科学の視点で書かれているが、ここで中野は、周囲と調和していない人間を危険分子とみなして制裁の標的にする。これが日本の企業や学校でのいじめの根っこにある構造だとする(P122)。この辺は非常に分かり易かったが、いじめた奴に効果的な一発を食らわす方法、については、、、書いてない。

最終章は二人の対談。この手の対談はぬるま湯的になりがちだが、それは仕方ないか。この中で中野は「中学時代が一番苦しかった」(P234)と書いている。濃密な中学校時代の友人関係の中で、自分の異質性を自覚し、協調性が無い、利己的と言う評価をもらった。それによる咎めを回避するために、彼女は学校の成績に逃げた。つまり、誰からも文句を言わせない成績を収めたのだろう。これに対し澤田は、中野のように成績に逃げられない多くの人を思う。澤田は最後に「(大きな満足を得ようとするよりも)小さな満足を積み重ねることが、ずっと大切」(P239)と語る。だが、ここまで読んできた結論がこれかよ、と言う思いも、強く感じたな。(敬称略)

 

朗希、完全試合。28年ぶり。

昨年5月の一軍デビュー戦をテレビ観戦して以来、常に気になっていた投手が、ついにやってくれた。僕は仕事で見れなかったが、ヤフーニュースで知り、びっくりしたな。

まだ20歳。見ての通り、身体も大谷に比べるとかなり華奢な感じだ。最高球速は現在、164キロだが、まだまだ速くなりそうだ。

ところで、28年前はジャイアンツの槙原が完全試合を達成している。これは印象に残っている。調べてみたら、1994(平成6)年5月18日の対広島戦。福岡ドームだったんだな。

僕は前年に社労士試験に合格し、この日は東京校の受持ちクラスで講義を終えたあとだったと思う。水道橋から総武線に乗り、僕が座った座席の向かいに、中年の女性が座っていた。眼は閉じていた、と言うのはその後すぐに知ることになる。

その女性がいきなり目を開けて、「槇原完全試合!」と叫んだのだ。僕は、「またか、ツイてないな」と思った。と言うのは、その前にも電車の中で、”変な行動”をする女性に遭遇していたからだ。呪いめいた言葉をまき散らす女性とか、吐く女性とか、、、。詳しく書く気にはなれない。そんなことがあったものだから、またか、と思ってしまったのだ。ところが、、、。帰宅して『プロ野球ニュース』を見たら、槙原が本当に完全試合を達成していた。あの女性の叫びは、真実だったのだ。

今回は、地元の千葉テレビを含めて、中継をどの局も行っていないことも話題となっていたな。確かにスター選手の登板日だから、力を尽くして欲しかった、とは思う。でも、予告登板とはいっても、はっきりするのは直前だし、スポンサーとの絡みもあってきちんと中継するのは一般人が思っているように簡単には行かないのだろう。

どうしても観たければ有料チャンネルを契約するしかない。僕は1999年頃、日本の男子ジャンプ陣の活躍を観るために、スポーツチャンネルを契約していた(この頃は女子ジャンプはまだ競技としては無かった。男子に交じって参加していたはずだ)。仕事から帰って、ビールを飲みながら、船木が優勝するのをよく観たものだ。金額もそれほど高くはなかった。熱心なファンで、見逃したくないのなら、有料チャンネルを契約するのが最も確実だな。

 

『中坊公平・私の事件簿』(集英社新書)読了。

本書の出版は2000年11月。僕はその初版を買った。どこの書店だったかは覚えていないが、芳林堂書店のカバーがしてあるので、多分以前住んでいた大井町で買ったのだと思う。ところで、これも長らく書棚で積読になっていたものだ。最近、こう言う状況にある本を読むことが多い。自分でも積読が多いな、とは思う。さすがに最近は、図書館の本は公共財産である、と言う意識が僕の中でも強まり、昔ほど本を買いまくることもなくなった。講師業を辞めて、専門書の購入もほぼなくなった。これからは読みたい本と、昔読みたかった本(これが積読)を読んで行こう。

しかし後者はいわゆる「旬のネタ」ではない。買ったときの興味は薄れている。そういう場合はブック・オフに出したりすることに、普通ならなるのだが、雑誌とは異なり、書籍の場合は処分するときの感情的ハードルが高いので、その場合も迷ったりする。

とにかく本書は22年近く、部屋の書棚の奥にいた。そして最近、冬眠が明けて出てきたのだ。

本書には中坊がかかわった14の事件が掲載されている。住専処理のような誰でも聞いたことのある事件から、関係者以外はほとんど忘れられてしまった事件まで。

中坊は自分のことを「出来の悪い落ちこぼれ」(P4他)という。京大法学部を出て日弁連の会長まで務めた人物が「出来の悪い落ちこぼれ」であろうはずは無いのだが、本書を読むと本人が自分のことをそう呼ぶ理由がわかるような気がする。

幾つかの印象に残る事件を見る。

中坊は、男女間や親族間の事件は引き受けないようにしている(P48)という。そのきっかけになったのが、タクシー運転手ドライアイス窒息死事件(P44)だ。この事件で中坊は被害者である運転手の妻と娘の損害賠償請求訴訟において弁護を行った。勝ったところまでは良かったが、この後問題が起きる(P47)。裁判中に被害者の妻が再婚したのだ。中坊の事務所に足しげく通って相談していたのは、妻ではなく主に死亡した運転手の母親だった。裁判によって慰謝料を得たのは被害者である運転手の妻であり、被害者の親には全く入ってこない。この事件でも、被害者の妻は、死亡した旦那の親には一銭も渡さなかった。中坊は「自分が見抜いていれば、被害者の妻に『法的に渡す義務はないが、慰謝料は亡くなった旦那さんの母と分けませんか』と進言したはず。でも見抜けなかった」と言う意味のことを書いている(P48)。中坊ほどの人でも「人の心、男女の関係、と言うのは苦手(P48)」なようだ。

 

森永ヒ素ミルク中毒事件(P50)は本書の中で一番ページを割いている。冒頭陳述の全文も載っている(P59)。この中に、被害児の悲惨な実例がいくつか出てくる。ここも読んで欲しいのだが、その前にある「母親たちは加害企業ではなく、ミルクを飲ませた自分自身をひたすら責め続ける」「(被害児は)近所の子供たちに水や砂をかけられても笑ってやり過ごすが、自分の家に戻るなり、わっと母親に泣きすがる」。中坊はこの状況が許せなかったのだろう。また「この事件が私の弁護士としての大きな転換点になった」とも書いている(P58)。

 

金のペーパー商法豊田商事事件(P136)。社長の永野一男が報道陣の目の前で刺殺されたショッキングな事件だ。中坊はこの事件の破産管財人となった。世間はこの事件の被害者を「欲ぼけ老人」呼ばわりし、批判した。これによって被害者は二度殺された、と中坊は言う。最初は事件の被害者として、二度目は世間から欲ぼけ老人呼ばわりされて(P142)。しかし中坊は違った視点からこの事件を見ていた。それは「老人の孤独(P141)」。被害者は、話がおかしい、と言うことを感じながらも、自分のところに何度も訪ねてきて、話を聴いてくれたり肩を揉んでくれたり、色々と親切にしてくれる豊田商事のセールスマンに感じ入って契約した、と言う人が多くいた。中坊は、そのような被害者と同じ目線に立って仕事を進めることの重要性をここで書いている(P143)。

 

グリコ・森永脅迫犯模倣事件(P158)。ここでポイントになるのは、当番弁護士制度。この制度の発足は、中坊の日弁連会長時代だ。そして、中坊自身も1992年4月に当番弁護士の登録をし、同年10月の当番日に本件がまわって来た、とのことだ(P160)。この制度では、初回の面接は無料で行うことになっているが、本人に資力もあるはずもない。結局「起訴後もずっとタダでやることに」なった(P161)。そしてこの、無料奉仕は、なんと住専処理事件(P192)における、㈱住宅金融債権管理機構及び㈱整理回収機構、両社の社長業にも続いてしまう。「私は1円の月給もいただいていませんし、退職金も一切受取っていない。だからこそと言う訳ではないが、誰に対しても媚びることなく言いたいことを言わせていただいた(P200)」と本人も書いている。これには驚いたな。業務内容にふさわしい報酬を得ることは、モチベーションの維持・向上にもなる。

中坊のモチベーションは、当初の「自分の利益のため」から「他人のためにひたむきに頑張る」ことに変わって行った。そしてその転機になったのが、先に紹介した森永ヒ素ミルク中毒事件だったのだ。(敬称略)

 

『二階堂重人の常勝トレード黄金ルール』(実業之日本社 刊)(何度目かの)読了。

「株 FX 儲けの極意」という、人によってはいかがわしさを感じる副題がついている。僕はこの本を、確か、ブックオフかなんかで買ったのだ。最初に読んだとき、買って良かったな、と思った。今でもそれは変わっていない。

本書の刊行は2011年4月。リーマンから1年半後だ。景気はあまり良くない時期だな。またそのタイトルから、テクニカルの本、という感覚をいだかせるが、実際読んでみると、その内容は、専業トレーダーの生き方、日常の紹介や、立ち回り方、ルーチンなどで、商品取引が主体の僕でも参考になる。幾つか具体的内容を書こう。

1  トレードは何のためにやるのか?

  金を稼ぐため。当たり前だ。ところが本書の冒頭で「トレードは経済の勉強のためにやっている」という女性投資家のインタビューが紹介されている。二階堂はこれを「きれいごと」と切り捨てている(P12)。僕はこれを読んで、この本は信頼できそうだ、と思った。

2  素人が勝てない相場で勝ってこそ一人前

 これはP25に出ているチャートのタイトルだ。2005~2010年までの日経平均の月足が載っている。2005年のような上げ相場なら、株を買って保持していれば、大体の人が儲かる。トレーダーとしての真の実力が試されるのは2008~2009年のような下げ相場。ここで勝てれば一人前、と二階堂は言う。僕も大方は同意するが、疑問もある。特に短期売買では、上げ相場でも売りでしか取れない日もあるし、逆に下げ相場でも買いでしか取れないときもある。力のあるトレーダーと言うのは、そのような状況下でもしっかりと取れる手法を確立している人のことを言うんだろうな。

3  不安を減らしたいなら、トレード以外で収入をえよ

 P41にある記述だが、納得である。「少額でも良いから、定期的に得られる方が良い」ともある。トレード以外に収入を得る道が無ければ、負けトレードの時に焦りが生じ不安の極致に達する。しかし、少なくとも定収入があれば、気持ちに余裕が生まれる。これは実感、だな。

4  チャートを見ずにトレードするのは無謀

 これも当たり前のことだが、本書では具体的に、トレードをする際に著者が見ているチャートを紹介している(P81)。

 

これらとは別に、「専業トレーダーの過酷な日常」と言うコラムが挟まっているが、これが実感を伴ったもので、思わずうなずいてしまう。内容は家事の分担や心の病について。

また、本を読んで勉強すれば勝てるようになるのか?(P158) と言う問いに対し、著者は、翻訳本を薦めている。具体名は上げていないが、おそらくパンローリングあたりから出ている本(ラリー・ウィリアムズなど)を指しているのだろう。

個人的なことを書くと、僕はトレードに関する真実を様々な本や経験から得てきた。その中には外国人の書いた本もあれば、日本人のそれもある。要は、これらを通して自分のやり方を確立した者が生き残る、と言うことではないだろうか。(文中敬称略)

 

 

 

『1000%の男 先物チャンピオンシップ奇跡の売買法』(フェアリー、炭谷著 パンローリング刊)(何度目かの)読了。

本書は2000年7~12月にかけて行われた、日本で(おそらく)初めての、リアルマネーによる先物取引のコンペ「第1回ロビンス-タイコム先物チャンピオンシップ」の優勝者(フェアリー氏)と準優勝者(炭谷道孝氏)の取引を詳細に記録した本だ。半年間の彼らのパフォーマンスは驚異的で、フェアリー氏は50万円の種銭を550万円に、炭谷氏は200万円を1330万円に増やした。

でも、本書はいま、絶版にはなっていないと思うが、大きな書店にもまずない。商品先物が見る影もなく細っているからだ。僕も、本書に触発されて、一度チャンピオンシップに参加したことがある。でも、このとき用意した50万円は、上の子の教育資金として用意したもの。これを元手に増やしてやろう、などという山師根性丸出しだったものだから、上手くいくはずもない。当初一時期、トップに立ったものの、ずるずると損失を重ね、結局収益率2%弱くらいでリタイアしてしまった。コンペに参加して資金を増やし、その収益で子供の教育資金を賄うなど、甘っちょろい考えだったね。

2009年にチャンピオンシップを主宰していたタイコム証券は破産。その後、TOCOMが同趣旨のコンペを何回か開催したが、それも大証との統合によりなくなり、現在、商品先物を対象にしたコンペは存在しないと思う(FXなどは開催している団体があるらしいが)。こういうものは、米国のように「育てていく」のが重要だと思うのだがな。

ところで、僕の持っている本には、2006年6月10日に、当時のタイコム証券名古屋支店で開催されたセミナーに参加したときに、炭谷さんからもらったサインがある。このとき炭谷さんは「こいつはフェアリーさんのサインももらいたいのだろう」と思われたのか、ページの左半分にサインをして下さった。でも、その後今に至るまで、フェアリーさんに会うことはないので、ページの右側は空白のままである。