Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

『職業治験』~治験で1000万円稼いだ男の病的な日々~(八雲星次著 幻冬舎刊)読了。

面白かった。本書を知ったきっかけは、治験について書いている、あるブログだ。

以前本欄に書いたように、僕は2年前に、長年続けた国家試験受験講師を辞めたのだが、その間、講師業と相場道を突っ走ってきた。わき目も振らずに突っ走ったお蔭で、FIREという用語の意味するところも知らなかったし(こういうタイトルの本があることは知っていたが、読んだことも無かったので、当然、その意味は知らない)、職業としての治験の道があるなんてことも知らなかった。

ここ2年で、今まで未経験の分野で、自分でも経験してみたい、と思ったことの一つにこの治験、というものがあったのだが、何社かのHPを見て、メールも配信されるようになって感じるのは、やはり本書に記載があるように、年齢的な問題だ。還暦過ぎでも対象になる治験はかなり少なそう(元々、対象が高齢者である薬は除く)。

特殊な形だが、治験もボランティアの一つと言える。うーむ、今年中に一つでも参加できるかなぁ。

ところで本書だが、「はじめに」を読んで、早く本編が読みたくなった。

本書では主に、筆者の体験した国内治験の実例が2つ、海外治験の実例が1つ載っている。それと、治験参加者の様々な生態。予想通り、参加者のほとんどすべては、カネのために参加する。実施形態からして、カネはないが時間だけはある(したがって、まともに働いている参加者は少ない)健康な20~40歳くらいまでの男性がほとんどだ。

臨試協(臨床試験受託事業協会)というものも本書で初めて知った。一度治験を受けると、その後4カ月を経過するまでは他の治験に参加できない。しかし、物事には抜け道もあるようで、臨試協に加盟していない医療機関による治験、というのもあるらしい。

本書にはその実態も書いてあり、これがまた面白い。しかし、我々が普段服用している薬が、このような経緯で実用化されるのか、ということがわかり、勉強になる、と同時にあきれた。

最後の章で、筆者は治験の甘い罠から逃れるため、ついに観念してハロワに行く。その後どうなったかは読んでもらうしかないが、本欄をここまで読んだ人なら、大体想像つくよな。

『潜入・ゴミ屋敷』(笹井恵里子 著 中公新書ラクレ)読了。

「孤立社会が生む新しい病」という副題がついている。

ゴミ屋敷のことはニュース報道などで時々目にするもで、イメージとしては分かり易かった。しかも僕の部屋自体も、決して綺麗な方ではないので、まぁ、オレもこのままいけばゴミ屋敷に近い状況になるかも知れないな、と簡単に考えていた。しかし、本書を読んで、ゴミ屋敷のレベル感は僕の部屋とはとても比較にならない、ということがわかった。「上には上がいる」とはよく言ったもので、僕の部屋のゴミ散乱レベルなど、自分で言うのも何だが、ひよっこレベルである。立派な? ゴミ屋敷と言えるには、ションペットや大爆弾(これらは、詳しく説明しないが、その語感から何となく察しが付くだろう。詳細はP34~42)は必須アイテムである。僕の部屋にはこういったものはないし、なにしろ床板が見えるようではダメだ。

ということで、本書は僕から見て、相当な上級クラスに位置する、まさに「上級国民」が現実のものにしてしまったゴミ屋敷を、普通の部屋に戻そうとする戦士たちの奮闘記である。しかも、ただの奮闘記ではなく、ジャーナリストである筆者が、ションペットや大爆弾と格闘する中で見えてきた現代社会の病ともいえるものを、リアルな筆致で著している。

随分と茶化した書き方をしてしまったが、本書に書かれている内容は深刻なものである。しかしそれを爽やかな筆致で描いている。僕の読後感が深刻なものになっていないのは、笹井というライターの力量に依るところが大きいと思う。

ゴミ屋敷に陥るのは、男女を問わず、独居・独身者が多いという。筆者は解決の糸口として「ゆるやかなつながり」を持つこと、というある大学教授の言葉を引用している(P192)。確かに、バブル崩壊以降、就職氷河期や個人情報保護の流れ(僕はこれを「個人情報過保護」だと思うときが時々ある)が強くなり、今回のコロナ禍がそれに追い打ちをかけた。オンライン化が人間関係からの撤退に繋がり、それがゴミ屋敷の一層の増加につながる。この流れは今後も強まっていくのではないかと思う。心配だ。

 

ところで、こんな読後感を書いている、ということは、お前の原稿は仕上がったのか? と思っている方もいようが、半分終わった段階である。だから気が大きくなって、ブログを書いているのだ。予定では、28,29日で残りの半分(医療と年金)を仕上げ、31、1日辺りで官報も踏まえてチェックし、編集の方に送る計画だ。もう少しだ。

先日、イアン・マクドナルドの逝去について書いた。

その時も触れたが、彼はフォリナーにも在籍していた。でも、ああいう産業ロック的な状況は、マクドナルドには似合わない。詳しいことは知らないが、フォリナーが80年代に大ヒットを連発するころには、もう脱退していたんじゃないかな。

フォリナーの代表作と言えば「ガール・ライク・ユー」と「アイ・ウォナ・ノウ」だと僕は思うが、前者は全米チャート10週連続2位(⁉)、と言う面白い記録を作った曲だ。この時1位に君臨していたのがオリビア・ニュートン=ジョンの「フィジカル」。当時も、今もそうだが、この曲のどこが良いのだろう? と思う。多分、当時の時代背景とか雰囲気、と言ったものがあったのだろうな。

アメリカのチャートでは時々、こういうどうでも良い(オリビアファンの方、失礼!)曲がバカ売れする。もう一つ例を挙げれば、デビ―・ブーンの「恋するデビ―」。この曲は1958年に始まった全米ヒットチャートで、史上初めて10週連続1位を達成した曲だ。でもつまらない。イメージ的には、学芸会で出来の良い女の子が一生懸命頑張って歌っている感じ。これもファンの方には申し訳ないが、どこが良いのかわからない。

ついでに(何のついでなのかわからないが)、10週以上の連続1位、と言うのを検索してみたが、エルトン・ジョンなど、ごく一部を除き、ほとんどが2000年前後以降のアーティストである。集計方法が変わった影響だろうか。昔は配信なんて無かったもんな。

エルトン・ジョンは、ダイアナ元妃への追悼として歌われた「キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997」が14週連続1位。「クロコダイル・ロック」「ダニエル」「ベニー&ジェッツ」など、多くの名曲をものにしている彼の最大のヒットが、1973年発表のこの地味な曲(元妃追悼のためリメイクされた)、と言うのは、らしくない感じがするが。

はっきりしたテーマも無く書き連ねてきたが、読んだ人は「こいつ、よほど暇なのか」と思っただろう。でも、暇ではないのだ。原稿の締め切りが迫ると、「締め切りごときに」と抗う気持ちがふつふつと湧き上がってくる。その結果が本稿だ。

締切りがなんぼのもんじゃい!(意味不明、しかも冷や汗)

ドル建て金現物、先物ともに2000ドル到達です。

東京の金現物価格もグラム8000円を突破しました(ま、乱高下はするでしょうが)。

自分の保有資産の評価が上がるのは嬉しいことのはずなんですが、理由が侵略戦争ですからね。

冷戦構造はとっくの昔に崩壊したはずなんですが、アタマの中がそこから抜け出せない指導者が大国のかじ取りをしている。厄介なものです。

今世紀は専制主義の世紀。民主主義より専制主義の方が上、と本当に思っているのでしょうか??? だとしたら救い難い。歴史を勉強して下さい。民主主義の確立のためにどれだけの血が流されたかを。それとも、専制主義のしもべになれば血を流す必要はない。でも、思考は停止してもらいます、という世界に住みたいですか???

専制主義を受け入れると、そういう世界に住むことになります。冗談じゃないですね。

イアン・マクドナルド死去。

また悲しい知らせだ。キング・クリムゾンフォリナーの創設メンバーの一人である、イアン・マクドナルドが2月9日、癌のため死去した。享年75。

初めて『クリムゾン・キングの宮殿』を聴いた時の衝撃は今でもよく覚えている。1975年頃だったと思う。当時すでに『童夢』『セブンスソジャーン』といったムーディ・ブルースのアルバムで、メロトロンの凄まじさが僕の脳天を直撃していたが(だからこんなになってしまったのだ)、それでも『宮殿』の衝撃はけた違いだった。『21世紀の精神異常者』のような曲は今まで聴いたことが無かったし、『エピタフ』のメロトロンは、大胆さという点において、ムーディーズを凌駕していた。『ムーンチャイルド』のインプロは、多分僕が聴いた初めての即興演奏だと思う。

その後、プログレッシブ・ロックと呼ばれる音楽を多く聴いてきたが、メロトロンの大胆さ、即興演奏における色彩感覚やイメージの豊かさ、という点において、1969年に発表されたこのアルバムがいまだに僕の中では最高の作品だ。そして、その中心にいたのがマクドナルドである。

マクドナルドは、1996年に、スティーブ・ハケットのサポートとして来日している。この時は僕は行けなかったが、友人のIという画家が観に行って、「宮殿」が演奏されたのでたまげた、と言っていた。僕は後日、その時の映像をVHS(懐かしい!)で入手したのだが、メンバー紹介の時、マクドナルドに対し、ひときわ大きな拍手が送られていたのが印象的だった。当日足を運んだIのようなファンは、マクドナルドが果たした大きな貢献を、きちんと理解していたのだ。もちろん僕も同じ気持ちだった。

ピート・シンフィールドも悲しんでいるだろうな。

素晴らしい音楽を有り難う。安らかに眠ってください。

 

西村賢太『苦役列車』(「文藝春秋」2011年3月特別号)を読む。

以前、又吉のときにも書いたが、芥川賞直木賞の発表時に読みたいと思った作品は、単行本ではなく、「文藝春秋」「オール読物」掲載時に購入する。しかし、買えば後はいつでも読める、という気になってしまい、ツン読状態に陥ってしまうこともしばしばだ。本作もそんな状態で、11年の間、僕の書庫に眠ったままだった。

そんな本作が覚醒したのは、言うまでもなく作者・西村の訃報に接したからだ。本作はほとんどが作者の実体験であろう。もちろん、出来事の順番を入れ替えたり、人物の設定をアレンジしたり、という脚色は少しはされていようが。作品名にある「列車」というのも、作者の人生の比喩だと理解できる。主人公は19歳だ。中卒で港湾人足という日雇労働をする身からすれば、人生の感じ方は川の流れのように穏やかな訳ではあるまい。まさに列車、だろうな。

ところで、単行本ではなく掲載号を買うには理由がある。まず、作者の周辺情報が豊富に掲載されている点。この時も「『中卒・逮捕歴あり』こそわが財産~自分の恥をさらけ出して書く。~私小説家としての覚悟」というインタビュー記事が載っている。これを読んでから受賞作を読むと、より楽しめる。

それから、これも見逃せないのは「選評」が載っている点だ。この時の選者の中に石原慎太郎がいるが、彼が「苦役列車」を強く推している。これを読むと石原は西村の「前候補作『小銭をかぞえる』を評価し孤軍奮闘に終わったが、」と書いており、早くからこの作者に注目していたことがわかる。

石原が本年2月1日に逝去した後、西村は読売新聞に「胸中の人、石原慎太郎氏を悼む」との追悼文を書いている。これによると、西村が石原に初めて会ったとき「お互い、インテリヤクザ同士だな」と声をかけられたという。「その真意は分からない」とも書いているが、石原は西村の「反逆的な一種のピカレスク」に、自分と似たようなものを感じ取ったのかも知れないな。

しかしこの直後、2月5日に西村は逝ってしまう。前記石原への追悼文が、彼の最後の原稿になったのか。54歳での逝去はあまりに早い。石原も「お前、もう来たのか」と驚いていることだろう。でも、「来ちまったものはしょうがない」とか言いながら、二人で小説の話をしているかも知れないな。

 

お二人のご冥福をお祈りします。

 

マラマッド『最初の7年間』を読む。

昨年11/25の記事でも書いた、バーナード・マラマッドの短編集(新潮社刊)の最初に収録されている作品。

このときにも書いたが彼の作品は「普通の人間に起こる、些細な出来事が、良い形で終わる」。魅了された度合い、で言えば『夏の読書』ほどではないが、本作も僕の好きなエンディングだ。

ポーランドからの移民、フェルドは、NYで靴屋を営んでいる。フェルドには19歳になる、ミリアムという娘がいるが、店の前をよく通る大学生のマックスを娘に引き合わせたいと考えている。それは、勉強熱心なマックスの影響を受け、娘も大学に行ってくれることを期待してのことだった。ミリアムは進学を望まず、勉強ならソベルが読む古典の本(彼は読書家だった)を彼から教わればそれで間に合う、と考えていたのだ。フェルドはついにマックスと娘を引き合わせることに成功するが、その時、職人のソベルは怒って職場を出て行ってしまう。ソベルもポーランドからの亡命者で、フェルドが心臓の病気のために店をたたもうと考えていたときに、ふらっと現れて、仕事を求めてきたのだ。当時ソベルは30歳だったが、亡命の苦労のためか、金髪は既に禿げ始めており、身なりも粗末だった。それから5年、ソベルは主人の信用を得、今では彼なしではこの店は成り立たないところまで来た。

フェルドには、そんなソベルがなぜ職場放棄をしたのかわからない。代わりの職人を雇ってはみたものの、信用も置けず、ソベルとは比べるべくもない。ついにフェルドは、ソベルに戻ってきてもらうため、彼の下宿を訪ねる。そこで初めて、フェルドは、ソベルが職場を放棄した本当の理由を知るのだった。ソベルは、フェルドの下で5年間、ずっと、ミリアムのために働いていた。少女が娘になるのを待っていたのだ。それを知ったフェルドは「あれ(ミリアム)はまだ19だ。あと2年たったら、あれに話したらいい」、と2年の猶予期間を付けて、ソベルの気持ちを受け入れたのだ。

翌日、元の職場で仕事を再開するソベルの姿があった。

 

不器用で無口な職人の一途な恋。これが最終的に実るのか否かはわからない。しかし、タイトルに「最初の」と付いているので(原題は The First Seven Years )、二人は結ばれ、その後も続いたのではないか、と思っている(もちろん、そんなことは原作にはどこにも書いてない)。

ところで、マックスはどうしたって?  外見的客観的な条件では、ミリアムの相手としてソベルよりはるかにマックスの方が合うように見える。でも、彼女はマックスを選ばなかった。このくだりはミリアムの口から淡々と語られるが、理由は普遍的なものだ。こういうことに時代性は関係ないね。

本作は文庫本で18ページくらい。サラリーマンならランチタイムか通勤途上で読める。そういえば、電車の中で本のページを繰っている人は、ほとんどいなくなったな。