Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

昨日は結局、相場に入ってしまった。

水星逆行期間中の最終取引日であり、前日も、あまり良い出来とは言えなかったので、最初はチャート画面を見ているだけだった。

それが、米国時間序盤にかけて徐々に下向きの流れが出てきたので、売りで2回、あや戻しの買いで1回トレード。だけど、もともと腰が引けているので(情けない)、取れたのは6円だけ。

まぁ、水星逆行期間中の最終取引日を地味目に飾ったかな。この間、ボロボロにならなくて良かった。

 

ところで、同系統のブログを見ていると「セミリタイア」の語が良く目につく。僕が社労士の受験講師として活動を始めたのは1994年あたり、30代の半ばを過ぎた頃だ。そこから25年、今でもこの活動を続けている。株取引はもっと早く、20代の後半からしていた。当時はバブル崩壊の前夜(と言うように今では書けるが「崩壊前夜」などと考えている人は、当時は誰もいなかった)。ネット取引も無く、当たった外務員の質によって損益が変わる時代だった。

90年の初頭から日経平均はダダ下がり。ひとまず底打ちしたのは2003年の7603円だ。38915円から、よくもまぁ下げたもんだ、と当時は思った(今でもそう思う)。だからこの間、現物株のバイ・アンド・ホールドでは、基本、儲けるのは難しかった。ちなみに、この間、僕に儲けさせてくれた証券外務員は2人しかいなかった。でも、一人は「こんな仕事はもう嫌だ」と言って、やめてくにに帰ってしまった。もう一人は勤めていた山一證券が自主廃業して、関係は終わった。

僕が金を買い始めたのはその前後からだった。今考えると、株がダメなら金にするか、と言う安易な考えがあったのかも知れない。でも、一番の動機は、価格が安かったことだと思う(当時は1g900円くらいで金が買えた。今は7000円近い)。

僕は社労士で、公的年金には詳しかった。それに株や先物についても知識と経験を蓄えつつあった。セミリタイア、という計画を具体的に描いていたわけではなかったと思うが、取り敢えず、先のことを考え、当時軌道に乗りつつあった講師業から得られる収入の多くの部分を、国民年金基金と貴金属の積立投資の二つにつぎ込んだ。国民年金基金は不安定で将来を見通すのが難しい自営業者の老後に備えるための制度だ。この中に60歳から老齢年金を受給できるコースがあり、僕はこれを選んだわけだ。これに加えて、親族の関係で生保の個人年金終身保険にも入っており、前者は60歳からの10年確定年金である。

ただ、当時の僕は75歳を超えて生きることを想定していなかった。だから僕の年金の基本設計は、未だに75歳までである。もしもそれを超えて生きた場合は、公的年金+前記の終身保険に積立てられている金銭を段階的に取崩すつもりだ。でも、こんな計画を立てられるのも保険契約締結当時の金利が、今と比べるとべらぼーに高かったからだ。

もちろん今でも、当時僕が設定したような老後の生活設計をすることはできる。しかしそれを実現するためのコストは、当時の僕が払ったコストとは比較にならないほど高くつくはずだ。

しかし、それに代わるものとして、idecoやNISAという新たな制度ができたし、FXや外国株投資もできるようになった。その中から何を選んで(或いは組み合わせて)将来設計をするかについては、個々人が置かれている環境によって異なるだろう。簡単には決められない。僕も当時(現在もだが)本当に様々な投資本を読んで勉強した。投資本は今、部屋の中に法律の専門書より多くあると思う。先日、ダンボール4箱分を処分したと書いたが、投資本は折り目を付けたり線を引いたりで、しかも何度も読み返すので、処分した本の中にはあまり入っていない。

どんな本を読んできたかについては、また時間を見て書きたい。

セミリタイアについては、50代半ば以降、少し考えが変わってきた。サラリーマンの頃は「この仕事を定年まで続けていかねばならないのか」とうんざりしたことも何度もあった。原因は、仕事が面白くなかったり(今思うと贅沢な悩みだ。仕事は基本的に面白くはないことが多いだろう)、人間関係に問題があったりしたと思うが、最大の原因は、自分が何をやりたいのかはっきりしなかったことだ。それが20代の後半に人事部に配属され、社労士の資格を知って勉強を始めた。これが転機になった。

その後、社労士試験に合格し、講義・執筆等に明け暮れるようになると、正直、セミリタイアを考える余裕がなくなった。次の講義の予習と締切りに追われる毎日。それが4~5年前から仕事量が減り、時間的余裕ができて、今後の生活設計について考え、必要に応じて修正する余裕が出てきた。

あれほど「定年まで(長すぎる、、、)」と考えて、サラリーマン時代はげんなりしていたわけだが、その年齢には到達してしまった。年金収入と株や先物投機からの収入もある。ただし、投機収入は失敗したらマイナス、つまり安定しない。就労は精神的・肉体的健康維持にもなるし、年金と投機に加え、第三の収入源になる。しかも、自分が思っていた以上に企業、職種などの選択肢が豊富だ(多いのは、警備、管理、清掃などだろうが)。

現在20~40代くらいで、セミリタイアを目指して頑張っている方々には、今まで書いてきたことは、多分あまり参考にならないと思う。時代も環境も異なるしな。僕自身、その時々、自分にできることを、まぁ毎日、それなりに真剣にやってきた結果、こうなっちゃいました、という感じだ。

何となく、吉田拓郎さんの「今日までそして明日から」的な世界観である。そう言えば、母がまだ存命だった頃、僕がこの曲を聴いていたら、母も近くで聴いていたらしく「~そして今、私は思っています~」の後の歌詞を聴いて「拍子抜けした」ような話をしていたのを思い出した。母は女性の平均寿命的には、早くに亡くなった。もっと親孝行をしておくんだったな、といつも思うよ。