マラマッドの作品と出会ったのは、大学の英語の授業のとき『夏の読書』と言う彼の短編を解釈したときだから、40年以上前になる。僕は英語の授業が嫌いで、有名な作家なら原著の翻訳が日本でも出ているだろう、と思い、書店で探してみた。そこで手に取ったのが「マラマッド短編集」(新潮文庫)。『夏の読書』はこの中に収載されていた。
先日、書棚を整理していて偶然、この短編集を見つけた。中を開くと、198ページには「5/31 P8 l8」とある。このページを僕が大学に入った年か2年目かの5/31の英語の授業でやったわけだ。で、この部分は原著のテキストP8の8行目以降になる、と言う感じで、僕はこの短編集を原著の「あんちょこ」として使っていたのだ。しょーもない奴だ(ちなみに原著も探したが見当たらなかった)。
ところが、読んでいるうちに、この作品の不思議な魅力に取り付かれてしまった。細かいストーリーは書かない(と言うより、劇的な、いかにもと言う感じのストーリー展開はない)が、一言で表現すると「普通の人間に起こる、些細な出来事が、良い形で終わる」と言う感じか。
今回読んだ『白痴が先』も、これと似た読後感が残った。
主人公メンデルは、知恵遅れの息子をカリフォルニアに住む叔父に託そうと、金策に追われる(老年になってまで、こういう思いは出来ればしたくないな)。カギとなる人物は、ギンズバーグ。この男は、人間の心の中に潜むネガティブな思考の象徴として描かれる。そして最後に、メンデルはギンズバーグとの格闘に勝ち、無事に息子を新たな世界に向けて送り出すのだ。
でも、物語の最後で存在意義を増すギンズバーグの意味が分からないと、読後感として「何だこれ」と言うことになりかねない。この作家は本作のように、物語の最後に、作品の基本的な性格を決定づけるような象徴的な意味を持たせ、読者に小さな希望を持たせて終わる。
本当に久しぶりにマラマッドを読んで、嬉しい気持ちになった。