面白かった。以前の本欄で、他人のフンドシで飯を食う評論家は嫌いだ、と書いた。それは今でも変わらない。しかし、評論家の存在を全否定しているわけではない。例えば、ある人物や物事に関し、自分の知識が(ほとんど)無かったり、片寄っていたりしたときに、経験豊富な評論家の書いた書物が、知識の補強や見方の修正に役に立つこともある。僕にとって本書はそんな意味を持っていた。
もちろん、田中については通り一遍の知識は持ってはいるつもりだった。でもそれは多くの人と同様、ロッキード事件や金脈など不可解なカネにまつわる話が中心だ。しかし本書を読むと、もちろん、退路で躓いたことも書いてはあるのだが、それ以上に、田中の行動規範や人生哲学、寛容の精神(P66)ともいえるところから現れる発言に魅了されてしまうのだ。
いくつか紹介しよう。
首相官邸を警護している麹町署員に、必ず声をかけて挨拶する(P22)
金に困った野党議員に対する資金援助(P27、150他)
仕事の能力があると見れば、左翼陣営に属していようとも取り込もうとする懐の深さ(P31)。ちなみに、大出俊と田中との間にこんな話があったのは初めて知った。
人を叱るときはサシでやれ。褒めるときは人前でやれ(P58)
ヒトへの悪口は吞み込め。プラスになることは何もない(P97)
石破二朗(石破茂の父)との話(P106)。のちに自民党幹事長にもなる石破茂の田中派入りは、これを読むと納得する。
母の影響(P116)
白眉は1962年、田中が大蔵大臣に就任したときのスピーチだろう(P156)。エリート中のエリートを前に、高等小学校卒の田中が語ったことの要約が載っている。
そして巻末には、田中以外に、著者が接してきた数々の政治家の言葉についても触れている。その中では、森喜朗(P230)、鈴木宗男(P235)、小沢一郎(P243)の記述が面白い。特に森の「人生はラグビーボールそのもの」(思った通りには行かない、ということか)、との述懐には、妙に納得したものだ。