Rocco's log ~プログレ好きの警備員 trader with 社労士~

社労士試験、投機関連(大阪金先物が中心)その他諸々。このブログのトレードに関する箇所は、僕の勝手な相場観を書いています。価格も僕の予測に過ぎません。内容の正確さに最善は尽くしていますが、一切の責任を負うものではありません。売買は必ずご自分の判断で行って下さい。また、記事中で氏名の敬称は原則として省略しています。ご了承ください。

日経35000円回復。30年11か月ぶり。

今年初めて、午前中から落着いてチャートを見ることができた。

 

しかし今日(01/11)は、ゴールドよりも日経だな。1990年2月以来の35000円台回復。1990年は、僕が2度目の学校法人に転職して2年目だ。期待して入った所。年間休日を含めた労働条件は悪くなかったが、仕事自体、面白いものではなかった。事務屋はそんなもんだが。それより数年前、人事部門で仕事をするなら労働・社会保険の知識は必須と思い、社労士受験を考えた。しかしよく考えると自分には、社労士が扱うような細かい法律よりも前に、憲法民法のような一般法の知識がほとんどないことに気づき、まず、それらが試験科目となっている行政書士試験に挑むことにした。1990年の、特に中盤以降は、勤務先の近くの図書館で仕事が引けた後21時くらいまで勉強していた。結局、1991年に行政書士、93年に社労士試験に合格し、社労士事務所への転職もほぼ決まりかけていた。ところが、当時僕が受講していたクラスの先生から、社労士の講師をしてみないか、との誘いを受けたのだ。ここで僕の打算が働く。社労士事務所は小規模なところが多い。労働条件はこの社労士受験校の方が良かった。それに、この時まで学校法人に7~8年勤務してみて、事務ではなく、一度は教鞭をとってみたい、という意欲もあった。社労士事務所の所長にはきちんと話した。怒られるかと思ったが、僕の辞退を受け入れてくれ、おまけに時々は遊びに来なさい、とまで言ってくれた。それ以来、事務所報(社労士事務所が発行している月報)も毎月送ってくれる。今は、辞退した僕とほぼ同時に入った人が、この事務所の代表をされている。先日もビールを持って遊びに行ってきた。本当にこの事務所の人たちには感謝しかない。

よく、1990年のバブル崩壊からの30年を「失われた30年」というが、資格試験の受験者数は一般に不況の方が増える。だから、僕が講師をしていた最初の10数年は、一教室に受講生の方が100人以上、というときも珍しくなかった。自分が望む仕事を思いっきりやれる環境は整っていた。もちろん、嫌なこともあったが、忙しくて、そういうことを長く引きずる時間はなかった。

結局、前にも書いたが、講師業は2020年春にコロナで打切りになるまで、執筆は2023年まで続けて、後進に道を譲った(ジジィがいつまでも粘っていてもしょーがないだろ)。今は施設警備員、老齢年金受給者ではあるが、職業は商品先物トレーダーのつもりでいる。

 

トレードの話からはかなり脱線してしまった。要するに日経が以前に35000円台をつけていたとき、というのは、僕がこんな話を思い出すくらい昔だ、ということ。

こんなに長くかかるとは思わなかったよ。